徳川家康の天下取りを支えた家臣の中でも「徳川四天王」は特別です。その4人とは、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政です。ただ、酒井忠次は他の3人よりも年齢が上で、関ケ原の戦いの前に亡くなっています。
榊原康政は徳川秀忠についていっていましたので、9月15日の関ケ原の戦いのときに関ケ原にはおらず、「徳川四天王」で参陣していたのは、井伊直政と本多忠勝の二人だけということになります。
本多忠勝は、生涯57回戦いに出て、一度も傷を負ったことがないといわれていますが、どこまで本当かはわかりません。
そんな本多忠勝の陣跡に立ちご紹介し、岐阜関ケ原古戦場記念館に展示されている「関ヶ原合戦図屏風」(関ケ原町歴史民俗学習館蔵)に、本多忠勝の愛馬が撃たれ、忠勝が落馬しているシーンが描かれているところをご案内いたします。
岐阜関ケ原古戦場記念館 : https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/