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「安食の戦い(中市場合戦)」清洲織田氏討伐の開幕戦
──天文23年7月(1554年)

安食の戦い(アイキャッチ)

合戦の背景

天文23年(1554年)7月12日(※前年の天文22年説もあり)、清洲城内に居住していた守護の斯波義統が殺害された。

義統の子である斯波義銀が屈強の従者を連れて川狩りに出かけている最中、老人が僅かながら残っているだけの手薄となった館に、守護代・織田信友と家宰・坂井大膳が急襲し、義統は自害に追い込まれた。
斯波氏の守護は形式的なものにすぎず、実権はすでに守護代・清洲織田氏に握られていたのである。

その後、子の義銀は信長を頼って逃亡し、その庇護のもとで那古野の天王坊に居を構えることになった。

合戦の経過・結果

こうして清洲織田氏討伐の大義名分を得た信長は同年7月18日、さっそく柴田勝家に命じて清須城へ向けて出陣させた。
勝家率いる信長勢は三王口で交戦して打ち破ると、清洲勢を乞食村(尾張春日井郡安食村)、続いて成願寺(=現名古屋市北区成願寺)へと後退させると、ついに城内まで追い込んだという。

※戦場は尾張国安食(現在の名古屋市北区付近)

長槍を持つ武将イラスト

この戦いでは信長が考案したという長槍の威力が存分に発揮された。織田方の槍は長く、清洲方の槍は短かったのであり、清洲方の河尻左馬丞や織田三位ら30人程を討ち取ったという(『信長公記』)。

この戦いの発端となった守護・斯波義統の自害については、信長の策謀とする見方が強く、斯波義銀を那古野城に保護した点も、実は信長が義銀を那古野城に押し込めたとする見方がある。





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