※ この記事はユーザー投稿です

芥川龍之介が自殺した理由 その死因、根底にあるものとは?…不思議な経験が語る真実と現実

★芥川龍之介の肖像(出典:国立国会図書館<a href="https://www.ndl.go.jp/portrait/">「近代日本人の肖像」 </a>
★芥川龍之介の肖像(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
おそらく日本の近代作家で芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)ほど、有名な作家はいないでしょう。国語の授業で『蜘蛛の糸』などの短編を読んだ方も多いと思います。その作風は、それまでの「人間を描く文学」ではなく、斬新な語り口の物語であり、どこか知的な雰囲気が微妙に漂うものでもありました。また芥川龍之介の風貌も、いかにも芸術家らしい感じを漂わせるものであり、インテリジェンスに溢れている印象を与えるものでした。

当時の最もエリートコースである一高→東京大学と進み、在学中から文豪、夏目漱石に目をかけられていた彼が、大学卒業後に作家になるのは「既定のコース」だったと言っても良いでしょう。秀作を次々と発表していた芥川龍之介は何故、35歳で自殺してしまったのでしょうか?

既にこれまでにも散々、憶測されていることですが、私が見たものの中には「ある事実」を取り上げているものは、1つもありません。ですので、今回あらためて検証し、芥川龍之介の自殺の原因に迫りたいと思います。

芥川龍之介の人物像

松本清張氏は昭和史発掘の中で「芥川龍之介の死」という一文を書いています。

内容としては芥川の生活人としての一面を描いており、興味深いものですが、沢山の家族を安い給料で支え、世の中の辛酸を十分に味わってきた松本清張という骨太の作家には、あまりにも線が細すぎる芥川龍之介という人物は「人間として情けない」と感じたのか、あまり好意的には書かれていません。

他にも宮本顕示の「敗北の文学」など骨太の人物には芥川龍之介という人物はあまりにも「情けない」と映ってしまう傾向があり、それはやむを得ないことだと思います。それほどに彼は線の細い、弱い人物だったのです。

某出版社が「文学全集」を出す時に、その編纂を芥川に任せたことがあります。すると芥川は「不公平のないように」と考え、なんと120人以上の作家の作品を、その全集に入れたのです。正確に言うと「不公平のないように」というのは「何故、俺を入れなかったんだ」という文句を言われるのが怖かったから、といって良いでしょう。

そのため、その全集は非常に大部なものになってしまい、全然、売れませんでした。当然ながら、全集に作品を入れられた作家連には印税が入りません。すると「全集の印税は芥川が独り占めしている」という噂がたち、芥川は狼狽します。そして、その全集に作品を入れた作家全員に三越の10円分の商品券を配ったのです。つまり当時のお金で1200円以上を使ったことになります。決して経済的に豊かとは言えなかった芥川にとっては大きな出費だったはずですが、彼はそれでも悪口を言われることに耐えられませんでした。

芥川は学生時代からもてはやされ、挫折や失敗という経験が全くありません。そもそも大学を卒業してすぐに作家になったので、社会的な経験もほとんどありませんでした。わずかに横須賀の海軍学校に教師として短期間、勤務した位です。つまり、全く「世の荒波」に揉まれたことがなかったのです。

これでは骨太になれる訳がありません。脅迫状やカミソリ入りの郵便が届くのは、いつものこと、と平然としていた清張さんとは全く違うのです。

芥川龍之介の病気

芥川龍之介が病弱であったというのも有名な話ですが、「では何の病気だったのか?」というと、はっきりと書かれているものは存在しません。「神経衰弱」と書かれることが多いのですが、これでは説明になっていません。もっとはっきりと病名が分れば症状も理解できるのですが。

しかし、実はある作品から芥川がかかっていた病気がなんであったのか推測できるのです。それは最後の作品となった『歯車』です。この作品の中で、芥川は「目の中で歯車が回っている」と書いていますが、実は、これは芥川流の文章表現ではなく、「ある病気の症状」なのです。

その病気とは片頭痛です。片頭痛の患者には閃輝暗点(せんきあんてん)という物が見えることが多々あります。実は筆者も片頭痛持ちであるので閃輝暗点は何度も経験しています。閃輝暗点は、まず最初に目の中に一点の光が現われ、段々とそれが大きくなっていきます。そして大きくなるとギザギザが現れ、まるで歯車のように見え、回り出すのです。下図のような具合です。

閃輝暗点(Wikipediaより)
閃輝暗点(Wikipediaより)

Wikipediaでは上記の絵が動いている様子も見ることが出来ますが、まさに歯車が回っているように見えるのです。芥川はいつも頭痛に悩まされていたことが分かっていますが、それは片頭痛であったと考えると納得がいきます。

実は松本清張さんも、閃輝暗点について触れており、芥川の描写があまりに正確なので「本で知った事を書いただけなのではないか」と疑っておられます。常用していた薬品から考えると片頭痛であり、片頭痛であれば閃輝暗点は発生しても何ら不思議はないので、私は芥川龍之介は閃輝暗点を見ていたと考えています。この辺りは清張さんには申し訳ないのですが、「ちょっと疑い過ぎでは」と思っています。

片頭痛という病気の原因は未だにはっきりしませんが、脳内物質としてよく知られる「セロトニン」の分泌量と関係がある、と言われています。芥川の実母は精神病患者(病名ははっきりしません)であったことから、遺伝的な素地もあったのだろうと思われます。片頭痛の痛みは結構強く、現在ではスマトリプタン系と呼ばれる鎮痛剤が使われ、結構よく効くのですが、スマトリプタン系鎮痛剤が使えるようになったのは僅か20年くらい前からの話で、それ以前は弱い鎮痛剤で耐えるしかありませんでした。

芥川には歌人の斎藤茂吉という友人がいました。斎藤茂吉は精神科の医師でもあったため、芥川は茂吉に「阿片丸を2週間分送って欲しい」という内容の手紙をたびたび出しています。茂吉は医師なので処方箋を書くことができ、芥川の要求に応えて「阿片丸」を送っていたようです。そして芥川の言葉として「オピアム、毎日、服用せり」というのがあるので、いわゆるオピオイド系鎮痛薬であることが分かります。オピアムという言葉は太宰治のダス・ゲマイネにも出てきますが要は「オピオイド系麻薬」のことです。

オピオイド系麻薬とは

阿片、モルヒネ、ヘロインをオピオイド系麻薬と言います。原材料はケシの実から取った液で、そのままの状態を「阿片」、それを精製したものが「モルヒネ」、更に精製したものが「ヘロイン」です。

最初の阿片の状態でも十分に麻薬効果がありますので更に精製したモルヒネ、ヘロインは更に強い麻薬効果を持ちます。その一方、末期癌の患者の強烈な痛みを抑えるためにモルヒネが使われることから分かるように強い鎮痛効果があります。モルヒネの場合、20mg程度であれば依存性を抑えることが出来るので医療用として使うことも可能です。

芥川が佐々木茂索宛に送った手紙に「鴉片エキス、ホミカ、下剤、ヴェロナアル、薬を食って生きているようだ」とありますが、鴉片エキスというのは別名「アヘンチンキ」と呼ばれるモルヒネを含む飲み薬のことです。

多分これが「阿片丸」の正体でしょう。錠剤ではなく液剤なので、飲み過ぎてしまう危険があるので現代では、まず処方してくれない鎮痛剤です。

アヘンチンキ(出典:wikipedia)
アヘンチンキ(出典:wikipedia)

ちなみにホミカは胃腸薬で胃を刺激する薬を飲む時に一緒に飲み、刺激を抑えるものです。またヴェロナアルというのは睡眠薬なのですが、これについては後で説明します。

しかしオピオイド系鎮痛薬の副反応は結構大変で、「眠気」「せん妄・幻覚」「呼吸抑制」「痛覚過敏」「食欲減退」など多岐に渡ります。依存性が起こらない量に抑えた服用であっても長期間連用していると、これらの副反応は起きてきます。

自殺する直前の芥川はやせ細って青白い顔をしており、電車に乗ると子供が怖がる程だったそうです。多分、オピオイド鎮痛薬の連用による副反応で、食事をする気にはなれなかったのでしょう。これでは体力が持ちません。また、当時の芥川は「街が燃えているように赤く見える」「ドッペルゲンガーに会った」と述べていますが、これらは明らかに幻覚によるものだったと考えられます。

ドッペルゲンガーとは「もう一人の自分」に会ってしまう現象のことで、ドッペルゲンガーに会うと、その人は死期が近いという伝説があります。それは鏡に映った自分だっかもしれませんが、オピオイド鎮痛薬の副反応で朦朧としている状態では、鏡とは気づけなかったのかもしれません。

更なる推測

実は片頭痛には、不思議な側面があるのをご存じでしょうか? 片頭痛を持つ人は多くの場合、うつ病も発症するのです。実は私もそうで、現在でも両方の治療を受けています。

うつ病の発症原因はまだ分かっていませんが、これもセロトニンが関係ありそうだ、と言う説が有力です。そして芥川が自殺に用いた「ヴェロナアル」という薬はバルビツール酸系の睡眠薬で、うつ病に伴う不眠症を改善するために処方されることが多い薬剤です。つまり、芥川もうつ病を発症していた可能性が十分にあるのです。

「うつ病」というのは案外に近年になってからクローズアップされてきた病気で、芥川が生きていた時代にはこの病名もなかったと思います。当時は「神経衰弱」と言う言葉で色々な精神系の病気を一括に表現していたと思われますが「強度の不眠症」を発症していたのは確実で、それは往々にして、うつ病の症状の1つなのです。

近年、うつ病は国民病と呼ばれる位になっていますが、重度のうつ病患者が持つ顕著な特徴をご存じでしょうか?それは「自殺願望」です。

うつ病患者において最も注意すべきは「自殺防止」なのです。逆に言うと「自殺願望が見られない患者」はうつ病といっても軽いものと考えて良いのです。芥川は「侏儒の言葉」の中で色々なことを書いていますが、多分に厭世的な思考、自殺願望が読み取れる部分があります。

これを「芥川のポーズ」と受け取る人も多いのですが、私はそうは取りません。私も、うつ状態の時に何度も自殺願望に襲われ、「あと一歩」というところまで行ったことは何回もあります。私の場合は「家族の存在」が最後の一歩を踏ませなかっただけなのです。もし独身であったら、この記事を書くこともなかったでしょう。

芥川は侏儒の言葉で何度かマインレンデルについて触れていますが、日本語訳としてはマインレンダーが正しく「救済の哲学」という本を書いた厭世哲学者でショウペンハウエルの厭世哲学の影響を強く受けている人物です。何故か清張さんはマインレンデルについても「芥川らしいこけおどし」と記しておられますが、私は英文に達者な芥川なら当時、読んでいたと思います。私自身もショウペンハウエル哲学の信奉者ですが、自殺願望の強い、うつ病患者にとってショウペンハウエル、マインレンダーなどの厭世哲学者の言葉は自分の願望を正当化し、後押ししてくれる「心強い味方」なのです。

幸い、現代では抗うつ剤も優れた物が出てきており、私も重度のうつ状態を発症することは、ほとんど無くなりました。けれど「ちょっとイヤなこと」があると、ふっと自殺願望が出てくることがあります。その場合、私には、急いで抗うつ剤を飲むという手段がありますが、芥川には何もなかったのです。

結論を申しあげますと、芥川龍之介の自殺理由は「うつ病による自殺願望」が根底にあり、社会経験の薄い彼にとっては煩わしい出来事や、片頭痛の痛みを抑えるたえめの阿片チンキの連用による副反応が出てくることで、さらに絶望的な状況に追い込まれた結果であると私は考えます。

芥川龍之介は装うのがうまい作家であったことを否定はしませんが、「文学的な行き詰まり」という説には賛成しかねます。芥川のように若くして世に出てしまい、しかも「芥川龍之介のイメージ」というレッテルが張られてしまうと、作家としては大変なプレッシャーであったと思います。

また、社会経験が無きに等しいということは「人間と社会を知らない」ということにつながりますが、元々、芥川は「人間を書く作家」ではないので、それはハンデにならなかったでしょう。「文学とは、こうあらねばならぬ」という呪縛は芥川には無かったと思います。ですので「私小説作家」ならいざ知らず、彼に「文学的な行き詰まり」は無かったと、私は思います。

おわりに

そもそも「小説」というのは芸術という範疇に入るものなのかどうか、という葛藤はあったと思いますが、それが芥川自殺の原因とは思えませんし、思いたくもありません。何故なら、それこそ「芥川龍之介の思うツボ」だと私には思えるからです。

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
なのはなや さん
趣味で歴史を調べています。主に江戸時代~現代が中心です。記事はできるだけ信頼のおける資料に沿って調べてから投稿しておりますが、「もう確かめようがない」ことも沢山あり、推測するしかない部分もあります。その辺りは、そう記述するように心がけておりますのでご意見があればお寄せ下さい。

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。