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横山ゆかりちゃん失踪事件の裏側 ~殺人犯はそこにいる~

警察が作成、公表した ゆかりちゃん誘拐事件の手配書
警察が作成、公表した ゆかりちゃん誘拐事件の手配書
※今回の投稿テーマは、歴史記事という観点からは適切ではありませんが、”番外編” ということでご容赦願います。

群馬県太田市のパチンコ店で横山ゆかりちゃんが行方不明になって今年で26年になります。群馬県警は2022年7月3日にあらためて以下のようなコメントを発表しました。

「1件でも多くの情報を得て、ゆかりさんの無事発見、保護、事件の事案の解決をはかってまいりたいと思っております」(群馬県警・神保誓志刑事部長)

このコメントを聞いて「馬鹿野郎!」と思っている人が沢山いることをご存じでしょうか? 実は、この事件、もう真犯人は特定されていると言っても良いのです。では、なぜ警察は真犯人を逮捕しないのか?それには「ある事情」があるのです。

この事件の真相を解明したのは某写真週刊誌の記者をしていたS氏です。そしてS氏は、いくら訴えても動かぬ警察組織に見切りを付け、一連の内容を2016年に一冊の本として出版しました。

タイトルの右側に書いたのが、その本のタイトルです。詳細な内容を知りたい方は、是非、一読されることをお勧め致します。本稿ではS氏の著書を簡略にまとめてご説明致します。

当時、相次いでいた少女殺人事件

実は横山ゆかりちゃんが失踪した時、群馬県、栃木県で同年代の少女の殺人事件が相次いでいました。

◆ 1979年 栃木県足利市 福島万弥ちゃん殺人事件 5歳
自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうちに行方不明。渡良瀬川近くでリュックサック詰めで全裸のまま遺棄されているのを発見。
◆ 1984年 栃木県足利市 長谷部有美ちゃん殺人事件 5歳
5歳女児がパチンコ店から行方不明となり、自宅から1.7km離れた場所で白骨死体として発見。
◆ 1987年 群馬県尾島町 大沢朋子ちゃん殺人事件 8歳
群馬県新田郡尾島町(現:太田市)で自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明。翌年に 利根川河川敷で白骨死体の一部を発見。
◆ 1990年 群馬県足利市 松田真美ちゃん殺人事件 4歳
栃木県足利市の4歳女児がパチンコ店から行方不明。渡良瀬川河川敷で全裸で遺棄された遺体を発見。
◆ 1996年 群馬県太田市 横山ゆかりちゃん行方不明事件 4歳
栃木県太田市のパチンコ店で行方不明。

場所は全て足利市か太田市、年齢は4から8歳で全て女児。5件中3件がパチンコ屋から行方不明となっているのです。また、遺体は河原で発見されることが多く、全ての事件は週末に発生しています。

これだけ共通点が多いと、これは同一犯の仕業ではないか? と疑うのは当然ですが、上記5件は全て未解決事件なのです。そして横山ゆかりちゃんの事件以外は既に控訴時効が成立しており、捜査は打ち切られています。

なお上記、5つの事件のうち、松田真美ちゃんの事件だけは「犯人」が逮捕されました。しかしその後に冤罪と判明し、「犯人」とされたT・Sさんは無実が証明されて釈放されます。T・Sさんが逮捕された時に、雑誌に載った記事を私は今でも覚えています。何故ならそれは、とても画期的なことだったからです。

日本で初めてDNA鑑定で犯人を特定した事件

T・Sさんが犯人とされたのは、犯人が現場に残した残留物のDNAと、T・SさんのDNAが一致したからなのです。そして、DNA鑑定が捜査に取り入れられたのは、この事件が日本で始めてでした。そういった意味で「画期的」だったのです。

ここまで書くと「えっ」と思われる方もいらっしゃると思います。DNA鑑定が一致したのなら犯人に決まってるじゃないか、と思いますよね。しかし先にも書きましたが、これは「日本で始めて」のことでした。

この事件でDNA鑑定を行ったのは警察内の研究所で「科学的な研究で警察の捜査に協力する組織」でしたが、当時その研究所が使っていたDNA鑑定方法は通称、「MCT118法」と呼ばれるものでした。そしてDNA鑑定には「マーカー」と呼ばれる「物差し」が使われますが、当時、その研究所が使っていたのは「123塩基ラダーマーカー」というものでした。

当時はこれしかなかったのですが、専門家に言わせると「123塩基ラダーマーカー」には目盛りが粗すぎる、という欠陥があり、鑑定結果が正確かどうかは保証できない、というのです。事実、その警察内の研究所も途中からマーカーをより精度の高い「アレリックラダーマーカー」というものに変更しています。

つまり、当時の日本のDNA鑑定は、まだ未熟だったのです。しかし、マスコミも警察もそんなことは知りませんから「科学捜査の夜明け」と呼んでDNA鑑定を「捜査の切り札」として持ち上げたのです。

しかし犯人とされたT・Sさんは「身に覚えのないこと」ですから、DNAの再鑑定を再三申し立てました。そして、17年目にしてやっと認められ、最新技術で再鑑定した結果、「不一致」となり、冤罪であることが立証、釈放されたのです。

警察内の研究所の主張

となると、「変更前の123塩基ラダーマーカーを使ってDNA鑑定を行なった事件は大丈夫なのか?」という心配が起きると思います。それについて、その研究所は「大丈夫である」という声明を出しました。その根拠は「従来のマーカーと新規のマーカーでは結果に一定の相関関係があり、変換が可能であるから」という説明が行われました。

ん?どういう意味? と思われるでしょう。つまり以前のマーカーで14と出た物は新マーカーでは必ず16と出るから、というのです。「要は一致するか、しないかが分かれば良いのだから」ということです。

以前のマーカーでは14、新マーカーでは16と出ても「2つのサンプルの型が同じかどうかを判定するのに問題はない、という訳です。

これは本当なのでしょうか? と疑うまでもなく、T・Sさんのケースを見れば分かる通り、123塩基ラダーマーカーでの検査結果では「一致」、現在の最新技術で行った検査結果では「不一致」だったのです。

いくら言葉で主張しても、現実の結果はそうではありませんでした。しかし、警察としては、警察内の研究所の主張を尊重せざるを得ません。それは「身内であるから」ということもあります。警察も含め、行政組織は「まず、なによりも自分達の組織の維持と利益が最優先」という気風があるのは知られた話ですが、実はその他に「非常にまずい事実」があったのです。

飯塚事件

1992年2月20日、福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明になり、翌21日に同県甘木市で他殺体となって発見される、という事件がありました。そして捜査本部は被害者宅近所に住むM・K氏をマークしました。数少ない目撃者の言う車と同じ車をM・K氏が持っていたからです。

捜査本部はM・K氏を重要参考人として取り調べを行い、毛髪のDNAと殺害された女児に付着していた血痕をT・Sさんの時と同じ研究所に送り、DNA鑑定を依頼。研究所はT・Sさんの時と同じMCT118法を使ってDNA鑑定を行い、「ほぼ同じ」という結論を出しました。検査をしたのはT・Sさんの時と同じ検査員です。

さすがに捜査本部も「ほぼ同じ」では決め手にはならないと考えました。少し横道にそれますが、皆さんはこの「ほぼ同じ」という答えをどう思われますか? 仮にも科学者である人間が、こんな中途半端な回答をしても良いものでしょうか? 鑑定結果はYESかNOのどちらかしか有り得ないはずで、こんな中途半端な答えを出すのは無責任すぎると私は思います。この答えは、この研究所の「体質」を如実に物語っていると言えるのではないでしょうか。

しかし、その後、他の数々の状況証拠もあり、警察はM・K氏を逮捕。裁判が始まり、最終的にはM・K氏は死刑が確定してしまいます。それには、その研究所のDNA鑑定の結果も「有力な証拠」として採用されたのです。

M・K氏は2008年10月に死刑が執行されました。逮捕時から一貫して無実を主張し再審を要求していたのですが、それは死刑執行命令の妨げにはなりませんでした。飯塚事件のことを知ったS氏は、福岡に行き、その時に証拠採用されたDNA鑑定結果の写真を見て、驚きました。

というのも、それには「とんでもない細工」が施されていたからです。「ほぼ同じ」という結論もひどいですが、その結論すらも実は「細工を施して」導かれた結論だったのです。

妙に歯切れの悪い結論の意味するところは、「最初に結論ありき」という姿勢で鑑定を行なった結果であると思われました。しかし、そのDNA鑑定結果は裁判では有力な証拠とされ、M・K氏に死刑判決が下され、既に執行されてしまっていたのです。

S記者の奮闘

実はS記者はこういった調査をする一方、真犯人の調査も行っていました。場所は限定的ですし、特徴も防犯ビデオである程度まで分かります。そして「ある1人の人物」が浮上してきたのです。

実は松田真美ちゃん殺人事件には「目撃者」が2名、いました。しかし警察はT・Sさんを犯人と決めつけていたので、その2名の目撃証言を無視していました。そしてS記者の調査結果として浮かび上がってきた人物の写真を2名の目撃者に見せたところ、2人とも「間違いない。この人です!」という証言が得られたのです。

その人物は、いわゆるパチプロで頻繁に太田市、足利市のパチンコ店に来ていたので店員さん達も知っている人物でした。アニメのルパン三世に似ていたため、S記者は「ルパン」と名付け、彼のDNA採取にも成功します。そしてDNAの型特定をしてもらったところ、T・Sさんの再鑑定の時に出された現場残留物の型と完全に一致したのです。

また、S記者はルパン本人にも直接に会い、色々と問いただし「明らかにおかしな応答」まで引き出してみせました。ここまで来ると、もう決定的と言っても良いでしょう。

動かない警察

T・Sさんの再審において行われた最新技術による再鑑定の結果は以下のようなものでした。

現場残留物のDNA型 = 18-24
T・SさんのDNA型 = 18-29

よって結果は不一致です。しかし事件当時、その研究所が行ったDNA鑑定の結果は以下のようなものでした。

現場残留物のDNA型 = 18-30
T・SさんのDNA型 = 18-30

結果は一致していました。いかに当時の鑑定技術が怪しい物だったかが分かります。そしてルパンのDNA型を最新技術で鑑定した結果、18-24であると分かったのです。しかし警察は、「警察内研究所の鑑定結果は絶対に間違いない」と主張しており、最初の鑑定結果である18-30でなければ 犯人ではない、と言うのです。

一時は警察もS記者の突き止めた人物をマークし、調査を進めていたのですが、ルパンのDNA型が18-24だと分かると手を引いてしまいました。なぜ警察はここまで18-30にこだわるのでしょうか?

もうお分かりでしょう。もし18-30が間違っているということになると、「警察内研究所」の鑑定結果が間違っていた、ということを認めることになるからです。そうなると「警察内研究所」のDNA鑑定結果で死刑にされた飯塚事件のM・K氏は「実は冤罪」だった可能性も否定できなくなり、警察の威信に関わる重大問題となるでしょう。だからこそ警察は 18-30 にこだわるのです。

業を煮やしたS記者は、ここまでの経過を特別TV番組で放送し、雑誌にも載せました。すると国会でも問題となり、野党の追及に総理大臣、国家公安委員長も「善処しなければならい」と答えているのですが、何ら具体的な動きはありませんでした。

さらにS記者は最高検察庁の幹部に直接会い、これまでの調査結果を提出しました。するとその幹部は「2週間待ってくれ」と期待を臭わせたのですが、6日後には「DNA型が合わないんだよね」という返事を返してきて終わりでした。つまり警察も検察も「現場残留物のDNA型 = 18-30」という警察内研究所の当時の検定結果を絶対に変えようとはしないのです。それを18-24に変更するのは「警察の威信を大きく損ねる事態」となりかねないからなのです。

万策尽きたS記者は、せめてこのことを書き残しておこうと考えました。そして出来上がったのがタイトルの右側に書いた本です。この本が出版されると、大反響が起こりましたが、警察は何の反応も示しませんでした。

ネット上では既にルパンの住所、氏名までを特定し、公開しているサイトまで存在します。しかし、一連の事件の最後となった「横山ゆかりちゃん失踪事件」が発生してから、もう26年が過ぎました。ルパンも、もう70歳後半です。大変に悔しい事実ですが、このままではルパンは逃げ切ったまま人生を終えてしまいそうです。

なんともひどい話ですが、これが現実なのです。「1件でも多くの情報を得て、ゆかりさんの無事発見、保護、事件の事案の解決をはかってまいりたいと思っております」という群馬県警の神保誓志刑事部長の言葉が虚しく聞こえるのは私だけでしょうか?


【参考文献】
  • 清水潔『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫、2016年)

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  この記事を書いた人
なのはなや さん
趣味で歴史を調べています。主に江戸時代~現代が中心です。記事はできるだけ信頼のおける資料に沿って調べてから投稿しておりますが、「もう確かめようがない」ことも沢山あり、推測するしかない部分もあります。その辺りは、そう記述するように心がけておりますのでご意見があればお寄せ下さい。

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