【家紋】軍神・上杉謙信の家紋は意外にもカワイかった?上杉家の「竹に雀」
- 2025/09/18

生涯の戦で九割を超える勝率を誇りながら、私欲のための侵略はしなかったといわれる上杉謙信。「越後の龍」の異名で知られ、義のために武を振るったその姿は、今なお高い人気を誇ります。同時代を生きた「甲斐の虎」武田信玄と対比して語られることも多く、越後国の内政を活性化させた名君としても敬愛され続けています。
上杉氏は、鎌倉公方を補佐する役であった「関東管領(かんとうかんれい)」(創設当初は関東執事)の職を代々世襲していました。事実上最後の関東管領であった謙信は、その立場から、一地方の領主という枠を超え、室町幕府や将軍家、朝廷とも深い関わりを持つステータスを有していました。
今回は、そんな謙信の家を象徴する、上杉家の家紋にまつわるお話です。
上杉氏は、鎌倉公方を補佐する役であった「関東管領(かんとうかんれい)」(創設当初は関東執事)の職を代々世襲していました。事実上最後の関東管領であった謙信は、その立場から、一地方の領主という枠を超え、室町幕府や将軍家、朝廷とも深い関わりを持つステータスを有していました。
今回は、そんな謙信の家を象徴する、上杉家の家紋にまつわるお話です。
名乗りとともに変わった謙信の家紋
上杉家の歴史に欠かせない謙信ですが、その来歴は単純ではありません。まずは彼のプロフィールを少しひも解いてみましょう。謙信はその生涯で幾度も名前を変えています。当時の武将の慣例としては珍しいことではありませんが、氏そのものも変わったため、使用する家紋にも違いが生じました。
謙信はもともと、上杉ではなく「長尾」を名乗っていました。越後国守護代である長尾氏の中でも、特に「三条長尾家」に生まれ、上杉家を直接の主君としていました。謙信は国内の争いを制圧し、上杉家の養子となることで家督を譲り受けたのです。
当初「長尾景虎」と名乗った彼は、主君や将軍から一字を拝領するたびに、「上杉政虎」「上杉輝虎」と名を変え、最終的に広く知られる「上杉謙信」となりました。「謙信」は、出家した後の法号(僧侶としての名)です。

九曜巴から竹に雀へ
長尾姓時代、謙信が用いていたのは長尾氏の紋である「九曜」でした。これは大きめの丸の周囲に八つの丸を配置したマークで、天体に由来する意匠です。現在でも日曜から土曜までの日・月・火・水・木・金・土を「七曜」と呼びますが、これに「計都(けいと)」と「羅睺(らごう)」という星を加えたものが九曜にあたり、星を神格化したものと伝わっています。長尾姓時代の謙信は、この九曜紋の一つ一つを「巴」の意匠に置き換えた「九曜巴」を用いていたとされています。

巴紋は現在でも太鼓の皮の表面などに描かれているのを見ることができますが、武神である「八幡」の神紋として広く知られています。八幡神は武士に篤く尊崇されてきた経緯もあり、この巴で構成された九曜紋は実に武将らしいエンブレムであるといえるでしょう。
一方、上杉の家督を継いだ後は、上杉氏に伝わる家紋「竹に雀」を使用しています。「上杉笹」とも呼ばれるこの紋は、意外なほどにかわいらしいデザインです。
実は、上杉氏は仙台伊達氏と親戚関係にありました。伊達政宗の三代前の時代に、上杉家の姫が伊達家に嫁いでおり、その際に「竹に雀」の紋が伝わったと考えられています。この紋は伊達氏でも使われるようになり、「仙台笹」という独自の意匠で定紋となりました。

「竹に雀」は元来、公家の紋だった?
一見武将らしくないようなかわいらしい「竹に雀」紋の由来は、上杉家の源流をたどると腑に落ちるかもしれません。上杉家の祖先は「藤原氏」であり、そのうち藤原北家の「勧修寺(かじゅうじ)流」という公家の一族を始祖としています。その勧修寺家が用いていた紋が「竹に雀」であり、上杉氏はデザインに変更を加えつつもその伝統を受け継いだようです。
「毘」の文字は家紋ではない?
上杉謙信といえば「軍神」と称されるほどの戦上手ですが、信心も篤く、特に「毘沙門天」を自身の守護として信仰していたことはよく知られています。戦の折には「毘」の一字をあしらった旗を掲げたイメージがありますが、これを家紋だと思われる方も多いようですね。しかし、「毘」の文字は家紋ではなく、戦陣で部隊や家中の識別表となる「陣旗」として使用されたものです。

毘沙門天は大陸風の甲冑をまとった武人の姿で表される仏尊で、武威によって強力に仏法を守護するという役割を担っています。まさしく、謙信の求める守護神の姿であったのでしょう。
おわりに
上杉謙信は、戦国時代を代表する名将の一人でありながら、最後まで天下人への野心をあらわにしなかった稀有な人物として捉えられています。現実の戦では理想論だけでは通用しないことも多かったことでしょう。しかし、謙信が秩序と平和の維持を強く願っていたことは、その記録から十分に推し量れます。そんな謙信が継いだ上杉家だからこそ、「竹に雀」の一見牧歌的な家紋にも、ある種の凄みを感じさせはしないでしょうか?
【参考文献】
- 『見聞諸家紋』 室町時代 (新日本古典籍データベースより)
- 奥平志づ江「日本の家紋」『家政研究 15』(文教大学女子短期大学部家政科、1983年)
- 秋田四郎「「見聞諸家紋」群の系譜」『弘前大学國史研究 99』(弘前大学國史研究会、1995年)
- 小和田哲男 監修『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)
- 大野信長『戦国武将100家紋・旗・馬印FILE』(学研、2009年)
- 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』(KKベストセラーズ、2014年)
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