【豊臣兄弟!】織田信長は桶狭間でなぜ、大軍率いる今川義元に勝利できたのか?
- 2026/01/26
濱田浩一郎
:歴史学者・作家・評論家
- ※本記事は一部にプロモーションを含みます
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第4回は「桶狭間!」。
同作の主人公、秀長の全体像(生涯・人物像など)を把握したい方はこちらの「豊臣秀長の解説コラム」をご覧ください。
永禄3年(1560)5月、駿河国・遠江国の大名・今川義元は尾張国に侵攻します。それを受けて織田信長は清須城に籠城せず、城から打って出て、義元軍と戦うことを決断。当初、小姓衆五騎を引き連れて、熱田までの三里を駆けるのでした。5月19日の朝のことです。一方、今川方は織田方の鷲津・丸根の両砦を攻略。義元は「この上もない満足」として謡を三番もうたったと言われています(『信長公記』)。
義元は四万五千人の大軍を率い、桶狭間山で人馬に休息を与えていました。今川軍に織田方の千秋四郎・佐々隼人正が攻めかかってきましたが、これも今川軍は撃退。五十騎ばかりを討ち取ります(千秋・佐々は討ち死に)。義元はこれを見て「義元の矛先は天魔鬼神も防ぐことはできない。気分が良い」と上機嫌。またまた謡をうたうのでした。『信長公記』には度重なる勝ち戦に油断している義元の姿が描かれています。
一方、信長は中島まで移動していましたが、その頃には軍勢は二千ほどに膨らんでいました。信長は「小勢だからと言って大敵を恐れるな。勝敗の運は天にある。戦いに勝ちさえすればこの場に参加したものは家の面目、末代までの高名だ。ひたすら励め」と将兵を鼓舞。家老衆が止めるのを聞かず、中島から更に軍兵を進めるのでした。
信長軍が山際まで軍勢を進めた時、突然、俄雨が猛烈な勢いで降ってきます。強風も発生し、楠を吹き倒します。この出来事に「此度の戦は熱田大明神の神軍(かみいくさ)か」と人々は言い合ったとのこと。雨が止んだ後、信長は槍を取り、大音声で「すわ、かかれ」と号令。信長軍は一斉に義元軍に攻めかかります。
黒煙を巻き上げて襲来する信長勢を見て、今川方は水を撒き散らした如く、慌てふためき後方に崩れました。その慌てぶりは義元が乗っていた輿まで打ち捨てというほどのものでした。義元は織田方の毛利新介により討ち取られます。
『信長公記』には戦勝に油断する今川軍に対し、将兵を鼓舞し、決死の覚悟で戦に臨む織田軍の姿が対照的に描かれています。織田軍の勝利の要因は様々考えられましょうが、この点も考慮する必要があるように思われます。

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