【豊臣兄弟!】伝説のなかの軍師・竹中半兵衛 いかにして稲葉山城を乗っ取ったのか?

  • 2026/03/09
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第9回は「竹中半兵衛という男」。羽柴秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛重治が登場してきました。

 秀吉の一代記『太閤記』(江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が記した秀吉の一代記)によると、半兵衛は合戦に関する「工夫」に余念なく、他の事は雑事と考えていたとのこと。また冷静沈着であったことから、半兵衛が先陣や殿軍を担っていると聞いた兵士は安心したようです。

 半兵衛にまつわる逸話として有名なものに「稲葉山城占拠」事件があります。永禄7年(1564)2月、半兵衛は僅かな手勢で主家・斎藤氏の稲葉山城に押しかけ、同城を奪取しました(占拠事件は永禄8年との説もあり)。この半兵衛の突然の行動は、主君・斎藤龍興への諫言の意味合いがあったのではとの説があります。一方で、半兵衛は半年以上も同城を占拠していたことから、クーデター、斎藤氏への反乱だったとする見解もあるのです。

 『太閤記』は占拠事件に関してユニークな説を載せています。当時、世間の人々は半兵衛のことを「うかつな性格の人だ。領主の惣領として仕えるのは如何なものか」と非難していたとのこと。この評判を聞いて大いに立腹したのが半兵衛でした。そして「隣国の人々までもが驚くような事をやって見せる」として稲葉山城占拠を企てたというのです。

 先ず、半兵衛は人質に出していた弟の久作の「持病」が再発したということで看病のためと称し「勇士」6・7人を城に送り込みます。その後、半兵衛はたった1人で城の広間に乗り込んでいくのですが、当然、斎藤重臣らの抵抗に遭います。しかし半兵衛は斎藤飛騨守を切り伏せ、城兵5・6人までも斬り捨てるのです。

 まるで時代劇のような『太閤記』の描写です。その後、半兵衛の舅・安藤伊賀守と半兵衛の手勢2千騎が山上に攻め上ると、斎藤龍興はこれは敵わぬと見て、退城していくのでした。この一件を聞いた信長は半兵衛に「稲葉山城を私に渡して欲しい。そうすれば美濃半国を与えよう」と書状で伝えます。が、半兵衛は城を他国の者に渡すのは良くないとして信長の要求を拒否。1年後に城を龍興に返還したのでした。

 『太閤記』のこれら逸話は創作でしょうが、半兵衛伝説を考える上では興味深いものであります。

竹中半兵衛の全体像(生涯・人物像・主な合戦など)を知りたい方はこちらの「竹中半兵衛の解説記事」をご覧ください。

【参考文献】
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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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