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これが互いに理想のバディ!!戦国武将たちのベストパートナー10選

帯刀コロク
 2020/05/25

ベストパートナーのイラスト

戦国時代という乱世において、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった英傑には必ずといっていいほど、頼りになるパートナーたちがいました。

今回は中でも特に魅力的なベストパートナー10組 を独断と偏見で選んでみましたので、ご紹介したいと思います。
(文=帯刀コロク)

豊臣秀吉 & 黒田官兵衛

一介の足軽から身を興して天下人となった秀吉の大出世は、個人の魅力や能力はもとより、優秀な参謀役の存在あってこそのものでした。

秀吉のブレーンは数多あれど、もっとも有名なのが大河ドラマの主人公にもなった「黒田官兵衛」でしょう。 「軍師」という呼び方は現代でいう作戦参謀とは少々異なりますが、数々の軍略を立案・実行して秀吉の覇業を補佐したとされています。

一説には後年の秀吉は自分を脅かす存在として官兵衛を警戒したともいいますが史料の裏付けはありません。 むしろ弟の秀長と同じく、心を許せる存在と思っていると書いた書状が残っているため、秀吉にとって官兵衛はまさしくベストパートナーだったのではないでしょうか。

上杉景勝 & 直江兼続

かの謙信の後継者として米沢藩を預かった上杉景勝ですが、忘れてはならないのが名家老・直江兼続の存在です。

「愛」の字の前立てを備えた兜で有名ですが、その字義の通り主君と民に尽くした治世者として知られています。関ケ原後の処分で上杉家は大きく力を削がれる形で米沢へと減移封。そこで景勝とともに経済を立て直したのが、兼続でした。

国力の低下により、現代でいうリストラを進める意見が家中で出されましたが、景勝と兼続は旧来の家臣が去ることを断固許さなかったといいます。

領国経営という真の難局において、ベストパートナーと呼べるのがこの二人ではないでしょうか。

伊達政宗 & 片倉小十郎

ご存じ伊達男の元祖と、その側近中の側近の名コンビ。「小十郎」は代々の通り名で、政宗に近侍したのは「片倉景綱」という武将でした。

重要な戦のほとんどに参加して幾度となく伊達の窮地を救った英雄にして、政宗にとっては「兄貴」とも呼べるような存在でした。

伝説ではありますが、少年時の政宗が隻眼となった折り、抱きしめるようにして激励し続けたエピソードはあまりにも有名。まるで兄弟のような、戦国のベストパートナーです。

黒田長政 & 後藤又兵衛

智将の父・官兵衛に対して、こちらは猛将のイメージが強い黒田長政。 無頼の勇将・後藤又兵衛は家臣でしたが、やがて長政の元を離れます。しかし誰よりも長政の力を認めていたのは又兵衛でした。

文禄の役で敵将と格闘になった長政がピンチを迎えたとき、又兵衛は悠々として助太刀しようとはしませんでした。 ここで討たれるような男とは思っていない、そんな信頼と激励からあえて加勢をしなかったともいわれています。

この主従は不仲という印象が先立ちますが、武人としての長政を成長させたのは間違いなく、又兵衛の存在が大きかったでしょう。 逆説的な戦国の絆として、ベストパートナーに選びました。

徳川家康 & 本多正信

最後に戦国を終わらせた男・徳川家康にも多くの参謀や側近がいましたが、「友」と呼んだのが本多正信です。

十数年もの間、家康の元を離れていた時期がありましたが、帰参してからは腹心中の腹心として秀忠にも仕えました。 ある時家康が近習を叱りつけていたところ、事情を聞いた正信がそれ以上の勢いで怒り出しました。

あまりの剣幕に家康は思わず苦笑。正信はすかさず近習たちを注意しつつ励まし、家康がそれ以上声を荒げないよう、また近習たちが許されるよう巧妙に計らいました。

上の顔を立て、下の者を庇う。そんな心遣いができた正信は、家康のベストパートナーと呼ぶに相応しい男ではないでしょうか。

織田信長 & 丹羽長秀

織田信長の周囲には個性的で有能な人材が集まり、筆頭武将を指して「木綿藤吉・米五郎左・掛かれ柴田に退き佐久間」と呼びました。

木綿のように便利な藤吉(秀吉)、米のように重宝な五郎左、攻撃力の柴田勝家に撤退戦の佐久間信盛、といった意味ですが、この「五郎左」が丹羽長秀です。

地味なようでいて武略・智謀・実務に長け、温厚で実直な人柄は織田家の良心といっても過言ではありません。 ワンマンなイメージの強い信長ですが、こうした将の支えがあってこその覇業でした。

女房役とも呼べる長秀を、信長のベストパートナーに選びました。

北条氏康 & 北条綱成

小田原の後北条氏三代目・北条氏康とその義兄弟、北条綱成のエピソードも有名です。 一説に「北条五色備え」と呼ばれた部隊があり、そのうち「黄備え」を率いたのが綱成です。

越後の上杉氏とその権益を争った河越の戦いでは六ヶ月あまりも籠城戦で持ちこたえ、計略を駆使して捨て身の救援に来た氏康に呼応して逆転勝利をおさめるなど、「地黄八幡」の異名に違わぬ守護神ぶりです。

氏康と綱成は血縁のない同族ですが、実に阿吽の呼吸のベストパートナーと言ってよいでしょう。

島津義弘 & 島津豊久

勇将揃いの島津家中でも、特に「鬼島津」の異名をとった島津義弘。そしてその甥にあたる武将が島津豊久です。 二人の名をとみに轟かせているのが関ケ原の撤退戦、「島津の退き口」です。

豊久は大将の義弘を無事に本国に帰すことを優先任務とし、小部隊の命が尽きるまで敵を足止めする「捨て奸(すてがまり)」という戦法でその目的を果たします。

「家の存続」という究極の勝利のために身命を賭した豊久の行方を、義弘は薩摩帰還後も三年ほども探し続けたといいます。 互いにこれ以上ない信頼で命を預け合った、戦国のベストパートナーと呼べるでしょう。

大友宗麟 & 立花道雪

豊後の王と呼ばれたキリシタン大名・大友宗麟と、その忠勇なる将・立花道雪。 道雪は雷神切りの伝説でも有名で、その愛刀「雷切」の存在が知られています。

宗麟はある時、凶暴な猿を家臣にけしかけるという悪戯を好んでいました。誰も逆らえず困っていたところ、道雪は躊躇なく猿を打ち据えて主君を厳しく諫めました。宗麟は反省して、以後そのようなことはなかったと伝わります。

道雪は宗麟を思う気持ちにより、本心から厳しいことを言える人物でした。宗麟もそんな道雪には素直に従ったことが知られ、忠告できる部下とそれを受け入れられる主という、見事な信頼関係を感じられます。

明智光秀 & 斎藤利三

大河ドラマで主人公となり、近年そのイメージが大きく変わりつつある明智光秀。武略のみではなく、文化面にも精通した文武両道の武将でした。

そんな光秀の側近の一人が斎藤利三。生年も出自も詳細不明という謎の武将ですが、重要な茶会に出席するなど茶人としも優れていたことをうかがわせます。当時の外交やコミュニケーションに大きく関わる茶の湯は、武人にとっても習得すべき教養でした。

光秀にとって利三は、文武の両面で頼りになる相棒だったに違いありません。やがて命運をともにする主従ではありますが、お互いの点てた茶を喫する和やかなひと時もあったのではないでしょうか。

そんな願いも込めて、ベストパートナーに選びました。

まとめ

お互いの足りない部分を補い合える、背中を預け合える、言いにくいことでもしっかり忠告できる……。 パートナーシップには様々な姿がありますが、いずれもこの相手だったからこそという奇跡的な縁で結ばれています。

改めて一人より二人、といった絆の力を感じさせますね!


【参考文献】
  • 『戦国武将ものしり事典』 監修:奈良本辰也 2000 主婦と生活社

  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術に ...


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