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再三の天守再建、徳川氏累代のシンボル!「駿府城」の歴史について

帯刀コロク
 2020/06/17

駿府城跡の巽櫓と東御門(復元)
駿府城跡の巽櫓と東御門(復元)

江戸幕府の中枢といえば、もちろん江戸城をイメージするかと思います。 しかし徳川氏にとって特別な城、初代・徳川家康に深く関連する城といえばやはり「駿府城」ではないでしょうか。

将軍職を二代・秀忠に譲った後も大御所として影響力を持ち続けた拠点にして、家康が人生最後の時を迎えた記念碑的な城。 そんな「駿府城」の歴史を概観してみたいと思います!
(文=帯刀コロク)

駿府城とは

駿府城は現在の静岡県静岡市葵区に所在した、輪郭式の平城です。 将軍職を退いた後も大御所として影響力を行使した、徳川家康の代表的な拠点として知られています。

当初は室町時代に駿河国守護を務めた今川氏の居城でしたが、甲斐の武田氏等との抗争を経て天正10年(1582年)、徳川家康が駿河を領有することになりました。

天正13年(1585年)には家康が浜松城から移転のため、今川氏の館があった場所に駿府城の築城を開始します。翌年に完成した駿府城はその後、数度の天守建造と喪失を繰り返しつつ近世城郭として完成されていきます。

駿府城の位置。他の城名は地図を拡大していくと表示されます

豊臣政権下では家康の江戸移封に伴い、一時期豊臣家臣の中村一氏が城主となりますが、慶長6年(1601年)には家康異母弟の内藤信成が城主となり、慶長12年(1607年)には再び家康が入城しました。

以降は頼宜・忠長と家康近縁の徳川一族が城主となりますが、寛永9年(1632年)に不祥事で忠長を自刃させると駿府は幕府直轄領となり、城代が置かれるようになります。

最後の城主は15代将軍・徳川慶喜の養嗣子である家達ですが、ほどなく明治維新を迎え廃藩置県により駿府は静岡に改称。家達は東京に移転し明治2年(1869年)、駿府城は破却となりました。

明治以降は公園や陸軍の駐屯地を経て、昭和24年(1949年)には静岡市の駿府公園となりました。 断続的に復元された櫓等は資料館として開館し、平成24年(2012年)に現在知るところの駿府城公園に改称されています。

豊臣時代の幻の天守

駿府城は天守の建造と喪失、そして再建を繰り返しており、家康の手によるものは大きく分けて3つの時期に分けられます。

一方、豊臣政権下で改修を受けた駿府城の姿はこれまで未知であり、幻の天守とも表現されていました。 しかし平成28年(2016年)、駿府城天守台の発掘調査が開始され、翌々年には豊臣時代の天守台石垣と、金箔を施した瓦が出土したことからその実態が解明されつつあります。

平成31年(2019年)には天守台最下層で今川期の遺構が確認され、原・駿府城が今川館であることを裏付ける発見となっています。

まとめ・略年表

近年の発掘調査の成果によって、これまで謎とされてきた今川氏時代や豊臣氏時代の駿府城の様子が明らかとなってきました。

再三にわたる天守の再建等、徳川氏が強い思い入れを持っていたかのような特別な扱いを感じさせますね。復元櫓などを利用した資料館も充実しているので、ぜひ学術調査の進展と合わせて見学してみてはいかがでしょうか!

※参考:略年表

  • 応永18年(1411年) 今川範政により今川館が建造される
  • 天正10年(1582年) 徳川家康が駿府を領有する
  • 天正13年(1585年) 家康が浜松城から移転のため、今川館跡地に駿府城の築城を開始
  • 天正14年(1586年) 駿府城完成。家康の居城となる
  • 天正16年(1588年) 駿府城天正期天守の着工
  • 天正17年(1589年) 駿府城天守落成。近世城郭として完成
  • 天正18年(1590年) 家康の江戸移封に伴い、中村一氏が駿府城主に
  • 慶長6年(1601年) 関ケ原の戦い後、家康異母弟の内藤信成が駿府城主に
  • 慶長11年(1606年) 内藤信成が近江・長浜城主に
  • 慶長12年(1607年) 慶長1期天守等の拡張工事を施した駿府城に家康が入城
  • 同年 12月、失火により本丸のすべてが焼失
  • 慶長13年(1608年) 本丸再建工事完了、家康が再入城
  • 慶長14年(1609年) 家康十男・徳川頼宜が駿府城主に
  • 慶長15年(1610年) 慶長2期天守再建完了
  • 慶長19年(1614年) 大坂冬の陣勃発により、家康が京都・二条城に移転
  • 元和2年(1616年) 駿府城にて家康が死去
  • 元和5年(1619年) 駿府城主・頼宜が和歌山城主に移封。紀伊徳川家の祖に
  • 寛永元年(1624年) 徳川秀忠の子・忠長が駿府城主に
  • 寛永8年(1631年) 忠長が乱行により蟄居改易
  • 寛永9年(1632年) 幕命により忠長が自刃、駿府は幕府直轄領に。駿府城には城代等を設置
  • 寛永12年(1635年) 城下火災の延焼で駿府城の大半が焼失
  • 寛永15年(1638年) 天守以外の御殿・門・櫓等が再建
  • 宝永4年(1707年) 宝永地震の被害で石垣等が破損、建物も一部が焼失
  • 宝永5年(1708年) 修復工事完了
  • 安政元年(1854年) 安政地震の被害で大破
  • 安政4年(1857年) 修復工事着工
  • 安政5年(1858年) 修復工事完了
  • 慶応4年(1868年) 江戸無血開城、徳川慶喜退去。養嗣子の徳川家達が駿府城主に
  • 明治2年(1869年) 廃藩置県により駿府は静岡に改称。家達は東京に移転、駿府城は破却される
  • 明治24年(1891年) 駿府城址は静岡市に払い下げ。公園となる
  • 明治29年(1896年) 城址の陸軍駐屯により、堀の埋め立てや施設の撤去などが行われる
  • 明治30年(1897年) 三ノ丸城代橋が架橋される
  • 明治39年(1906年) 凱旋橋が架橋される
  • 昭和24年(1949年) 大蔵省経由で静岡市に再度払い下げ。再び公園に
  • 昭和26年(1951年) 公募により駿府公園と命名
  • 平成元年(1989年) 巽櫓(たつみやぐら)復元、資料館に
  • 平成8年(1996年) 東御門復元、資料館に
  • 平成18年(2006年) 日本100名城に選定
  • 平成21年(2009年) 駿河湾地震の被害で石垣等が破損
  • 平成24年(2012年) 駿府城公園に改称
  • 平成26年(2014年) 二ノ丸坤櫓(ひつじさるやぐら)復元、資料館に
  • 平成27年(2015年) 家康400回忌、駿府天下泰平まつりが開催
  • 平成28年(2016年) 天守台の発掘調査開始
  • 平成30年(2018年) 豊臣時代の天守台石垣と金箔瓦等が出土
  • 平成31年(2019年) 天守台下層、今川期の遺構を確認

【参考文献】

  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術に ...


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