「お前は命を落とすだろう」──桶狭間を前に今川義元が無視した ”血塗られた予言”
- 2026/01/28
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永禄3年(1560)5月12日。駿河の太守・今川義元は大軍を率いて尾張へと出陣しました。このあまりにも有名な行軍の裏側に、奇妙な伝説が残されているのをご存知でしょうか。「義元は、亡き兄の幽霊から出陣をやめるよう、忠告を受けていた」というのです。
今回は、戦国史の転換点となった「桶狭間の戦い」の直前に起きた、この世にも恐ろしい逸話をご紹介します。
今回は、戦国史の転換点となった「桶狭間の戦い」の直前に起きた、この世にも恐ろしい逸話をご紹介します。
【目次】
主な登場人物
今川義元(いまがわ よしもと)
今回の話の主人公です。武田信玄や織田信長と比肩する実力者ですが、後世の創作では「貴族趣味の軟弱な大名」として描かれることも。しかし、実際は極めて有能な政治家・軍略家でした。玄広恵探(げんこうえたん)
義元の異母兄。庶子だったために出家していましたが、父・氏親の死後、家督を巡って義元と激突(花倉の乱)。最終的に敗北して自害に追い込まれました。
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話の内容
この話は『当代記』という書物に記載されています。内容を簡単に紹介しましょう。── 義元が三河へ進軍している最中のこと。夢の中で死んだはずの兄・恵探が現れて忠告します。
恵探:「今回の出陣は止めるべきだ」
義元:「かつての敵であるお前の言葉など信じぬ」
恵探:「今川家が廃れてしまうのが嫌なんじゃ」
義元は忠告を一蹴しますが、恵探が嘆いたところで、目が覚めました。
その後、藤枝あたりを進軍中、義元の前に再び恵探の幽霊が現れます。それを見た義元は刀を抜いて切りかかろうとしますが、周りの人には何も見えていなかったといいます。───
出典となる『当代記』は、織豊政権期から江戸幕府の成立期にかけての政治・軍事・社会の状況を編年的に記録した全10巻の書物です。成立年代は不明ですが、一説に徳川家康の外孫・松平忠明の著と伝えられています。
当時の情勢を知る貴重な史料ですが、なぜ編者はあえて怪談のような話を入れたのでしょうか。真相は謎ですが、合理主義に傾く戦国時代において、「凶兆を無視した義元」という印象を強調したかったのかもしれませんね。
地元、駿河に残る伝承
実はこの話は『駿国雑志』にも、より具体的な伝承として残っています。『駿国雑志』とは、駿府加番(駿府城の警備役)として駿府に赴任した阿部正信が天保14年(1843)に著したもので、駿河全郡の地理・歴史・風俗・人物伝記・動植物等々多岐に渡って紹介している地誌です。この『駿国雑志』巻之24下には「良眞霊(よしざねれい=恵探の霊)」として、出陣直前の生々しいやり取りが綴られています。
以下、原文をご紹介します。
「安倍郡府中今川家の館にあり。傳云。永祿三年五月、今川治部大輔義元、上洛の志願にして、近日兵を尾州に發せんとす。或夜、先年義元の爲に自害して失たりし、舎兄花倉院主良眞枕上に來り、杖を以て突驚かす。義元松倉卿の刀を取て是をきる。良眞飛しさりて曰、我汝に恨ありといえへども、家の亡ん事を悲み思ふに依て、告る事あり。汝天命を知らず、軍を發して上洛をくはだつ、故に天汝をにくみて、一命を失ん事、近きにありと。義元遍身汗を流し、気絶えんとす。漸くして人を呼ぶ。小姓奥山松夜刄丸何某、來て水を呑ましむ。云云。」
※現代語訳( 永禄3年5月、上洛を目指して尾張へ兵を出そうとしていた義元の枕元に、かつて自害した兄・良眞(恵探)が現れた。良眞が杖で枕を叩くと、驚いた義元は刀を抜いて切りかかる。 良眞は飛び退いて言った。「お前に恨みはあるが、今川家が滅ぶのは悲しいから忠告する。天命を知らずに軍を出せば、お前は命を落とすだろう」。 義元は全身に汗をかき、絶句した。ようやく小姓を呼び、水を飲ませてもらったという――。)
こちらの話は『当代記』とは異なり、設定は出陣前で忠告内容もより具体的になっています。その後の義元についての記述はありませんが、彼の末路は周知のこと。当時の読者は「忠告を聞いていたら死なずに済んだのに…」と思ったことでしょう。
今川義元のイメージ
長らく義元のイメージは良いものではありませんでした。桶狭間で大軍を擁しながら小勢の信長に敗れたことや、公家のような風体の印象が強いことが原因でしょう。しかし近年の研究では、その評価が大きく覆っています。- 隣国の甲斐武田氏や相模北条氏と手を結んで国境を安定させたこと。
- 安倍川上流の金山を開発し、諸国の商人を招いて商業・流通を発展させたこと。
- 駿河は禅宗が盛んだったため、五山文学を学ぶために“駿河版(今川版)”と呼ばれる木版印刷を発達させたこと。
- 父氏親が作った『今川仮名目録』に21条を追加した『仮名目録追加』を制定したこと。
などなど。特に『仮名目録追加』では、室町幕府が定めた“守護使不入地”の廃止を記しました。これは今川領国が「幕府の権威によってではなく、自身の実力によって統治している」ことを宣言したものとして、高く評価されています。
義元は「海道一の弓取り」の名に恥じない名君主だったのです。
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最後に
話では恵探の幽霊という形をとっていますが、実際にも出陣に反対する慎重派の家臣はいたはずです。絶頂期にあった義元は、それら全ての「不都合な声」に耳を貸さなかった。その慢心こそが、恵探の霊となって現れたのかもしれません。どれほどの実力者であっても、他者の声に耳を閉ざした瞬間に悲劇は始まります。この奇妙な幽霊話は、現代を生きる私たちにも「謙虚に耳を傾けることの大切さ」を、静かに物語っているようですね。





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