江戸で美人は「笠森お仙」…江戸で大人気の水茶屋娘たち
- 2024/12/05
「笠森お仙」浮世絵のモデルに関連グッズも続々登場
床几を2つ3つ置き周りに葭津を掛け回して客に湯茶やちょっとした団子などを提供する…時代劇でよく見る店ですが、このような水茶屋では競うように美少女に給仕をさせました。もちろん一人身の男が多い江戸の街向けの戦略で、この少女たちが評判を呼びます。吉原の花魁ではいかに美人でも敷居が高く、大枚の金が必要です。その点、水茶屋の看板娘ならまさに逢いに行けるアイドル、その火付け役となったのが「笠森お仙(かさもり おせん)」でした。
江戸時代、谷中に感応寺という大きな寺がありました。その門前に笠森稲荷があり、その脇にお仙の父親・鍵屋五兵衛の店があります。店で給仕をするお仙の美しさにまず目を止めたのは浮世絵師の鈴木春信。「美人画のモデルになってくれ」と頼み込みます。そのころ流行りの美人画のモデルといえば多くがお仙のような茶屋娘でした。
水茶屋にとっては絵に描かれるのは店の宣伝にもなりますし、娘目当てに客が押しかければ寺も参拝客が見込めることから大歓迎。絵師も絵が売れれば次の仕事につながる、まさに三方得です。お仙が浮世絵に描かれたのは江戸中期の明和年間(1764~72)の事で、まさに笠森お仙ブームが到来しました。
独身男の多い江戸の街、浮世絵の売り上げだけでも相当のものでしたが、商売人は抜け目がありません。お仙の姿を描いた絵草紙や双六、手拭いに姿を似せた人形も作られ、瓦版の記事にもなります。明和5年(1768)5月には堺町の芝居小屋で芝居のセリフにお仙の名前が登場し、翌6年には木挽町の芝居小屋・森田座でお仙を題材にした狂言がかかり、大当たりをとります。
ライバル「お藤」の登場
お仙人気は笠森稲荷への参拝者を激増させますが、浅草寺境内にも人気の娘がいました。名前は楊枝店「柳屋お藤(やなぎや おふじ)」。こちらも鈴木春信の絵に描かれて大層評判を取ります。浅草寺境内には房楊枝を売る店が多く、その中のひとつである柳屋の看板娘がお藤です。 彼女は楊枝屋お藤と呼ばれましたが、店が大きな銀杏の木の下にあったので「いちょう娘」とも呼ばれます。お藤も絵草紙に書かれ、手拭いの絵柄にもなり、とお仙と人気を二分しますが、明和6年(1769)にこの2人の直接対決が始まります。
浅草寺で本尊の観音菩薩のご開帳が始まったのです。当時、寺社のご開帳はお江戸の一大イベントでした。当然浅草寺への参拝者も格段に増えるのが見込まれ、臨時に店を出す水茶屋も多く、お仙の店も出店してお仙団子を売り出したのです。
目と鼻の先には房楊枝を売るお藤が店番をしています。トップアイドル同士の直接対決とあって浅草寺境内は押すな押すなの人出だったとか。
このお仙とお藤に、二十軒茶屋の水茶屋蔦屋の看板娘「およし」を加えた3人を「明和三美人」と呼び、妍を競っておおいに持て囃されます。二十軒茶屋とは浅草寺の境内で仲見世から仁王門あたりまで軒を連ねていた茶屋を指します。
突然姿を消したお仙
ところがこの直接対決の翌年明和7年の2月に、お仙が突然姿を消してしまいます。トップアイドルの失踪に江戸の街は大騒ぎ。その理由や行先をめぐって瓦版が好き勝手に書き立てます。実はお仙は密かに嫁入りしていたのです。幸運な男は旗本の倉地政之助、お仙は倉地家の親戚馬場家の養女格になって倉地家へ輿入れしました。もともと倉地家は笠森稲荷の建つ土地の地主だったそうですが、江戸でもいちにの評判娘が直参旗本に嫁ぐとなれば、当然江戸中の話題になります。しかし倉地家は将軍家御庭番を務める家柄でした。江戸の町衆の噂になるのは極力避けたいため、この結婚は極秘扱いとなり、お仙はぷっつりと世間から姿を消してしまったのです。
すぐに登場する次のアイドル
こうして笠森お仙は江戸の街から去ってしまいますが、独り身の男たちはすぐに次のアイドルを見つけます。寛政年間(1789~1801)になると、浅草寺随身門の門前茶屋難波屋の看板娘「おきた」が次のアイドルに名乗りを上げます。彼女は今度は浮世絵師・喜多川歌麿の美人画のモデルになり、こちらは寛政の3美人の1人です。
他の2人はというと、1人は富本豊雛(とよひな)といい、富本節を語る吉原の玉村屋抱えの芸者です。吉原の座敷に出るのは遊女ばかりではなく、音曲で座敷を盛り上げる芸者も呼ばれました。豊雛はその中で吉原一の美人芸者として人気を誇ります。
もう1人が高島屋おひさ、両国薬研堀の煎餅屋・高島屋長兵衛の娘で、家が両国で開いていた水茶屋の看板娘です。
歌麿はこの3人を一つの画面に描くことが多く、さっと描かれた顔でありながらそれぞれの美しさを微妙に描き分けています。
おわりに
浮世絵師たちはこうした美人を使って自分の絵で自由に遊びました。腕相撲をさせてみたり、囲碁を打たせてみたり、時には仁王様と力比べをさせたりしました。【主な参考文献】
- 小木新造ほか 編『江戸東京学事典』(三省堂、1987年)
- 森睦彦『数のつく日本語辞典』(東京堂出版、1999年)
- 安藤優一郎『大江戸の飯と酒と女』(朝日新聞出版、2019年)
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