【豊臣兄弟!】竹中半兵衛が戦陣にいると、味方の兵士はなぜ自軍は勝ったと感じたのか?

  • 2026/06/15
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第23回は「さらば半兵衛」。菅田将暉さん演じる竹中半兵衛の死が描かれました。

 秀吉の軍師として著名な半兵衛ですが、その実像については確かな史料が少なく、謎に包まれています。半兵衛は数々の「伝説」に彩られているのですが『常山紀談』(江戸時代中期に成立した逸話集。著者は儒学者・湯浅常山)にも半兵衛の逸話が収録されています。

 それによると、半兵衛は秀吉の「軍奉行」と記されています。その上で、謀略に長けた人ではあるが、見た目は「婦人」のようだったとあります。合戦に臨む際にも「猛威」(激しい勢い)というようなものもなかったとのこと。静まりかえっていたとも記されています。自軍を叱咤激励して、鼓舞するタイプではなかったのです。しかし、兵卒は半兵衛がいるだけで「この戦、既に勝った」と勇み合ったということです。半兵衛が謀略に長けていたということもあるでしょうが、戦場においての冷静さもまた味方を安心させたのでしょう。

 半兵衛の息子は重門といって、後に『豊鑑』(秀吉の伝記)を書くことになるのですが、その重門が年少の頃、半兵衛は我が子に「軍物語」を語り聞かせていました。その時、重門はその場を立ち、何処にか行こうとします。「戦は国の大事である。どこに行く」と問う半兵衛。「厠(便所)に行く」と答えた重門に半兵衛は怒ります。「ここで小便を垂れてでも、軍物語の席を立ってはならない」と半兵衛は我が子を叱ったのでした。

 合戦における軍略というものを重視し、ゆるがせにしない半兵衛の逸話が『常山紀談』には記されているのです。しかしそんな半兵衛も天正7年(1579)に播磨国で病没することになります。

【参考文献】
  • 池内昭一『竹中半兵衛』(新人物往来社 1988年)
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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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