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【麒麟がくる】第10回「ひとりぼっちの若君」レビューと解説

  • 明智光秀
 2020/03/23
「麒麟がくる」第十回レビュー用

今回は主人公・光秀がやや存在感薄く、主に信長と駒にスポットが当てられました。

うつけと呼ばれ、母に遠ざけられる若い信長。嫡男である信長が家督を相続することは決まっているものの、最近嫁いできたばかりの帰蝶でさえ不安を覚える人物。しかしその器量は……?
(文=東 滋美)

伊呂波太夫

駒の姉的存在の伊呂波太夫が登場しました。各地を旅し、尾張の織田信秀、また京では松永久秀ともつながりをもつ人物です。

駒たちと同じくオリジナルキャラクターですが、有力大名に顔がきくほどの女性なので、今後どう絡んでくるのか予想がつかずワクワクしますね。

「太夫(たゆう)」は、もともとは一定の位以上の官吏をそう称したものですが、時代が下ると官吏に限らず、神職、芸能あらゆる分野で用いられるようになります。

太夫といえば「高尾太夫」をはじめとする遊女が有名ですね。江戸時代前期の遊女の最高位は「太夫」で、江戸では後期になると「花魁」に転じます。

女性の太夫というとどうしても遊女をイメージしてしまいますが、由来は遊女も、芸能の太夫も、神職や巫女としての太夫にたどり着きます。

神職を太夫と呼んだことから、次第に神楽や獅子舞を舞う人物も太夫と呼ぶようになりました。そして、巫女として芸能を行った女性もそう呼ばれたのです。

能太夫も、もともとは神事の奉仕をする人物の称号が転じたものです。

桔梗紋ですぐわかる?

伊呂波太夫に命の恩人のお侍は美濃の人だった、と話す駒。これに、伊呂波太夫が「そのお侍さんは桔梗の御紋の持ち物を持っていた」と新たな情報をもたらします。

駒はびっくりして、どんな形の紋だったか確認した上で、お牧の方にもらった明智家の紋入りの扇を確認します。同じ桔梗紋です。

物語の流れからいって、駒の命の恩人は光秀の父なのでしょう。お牧の方の話ではよく京に行っていた、とありましたし。

でもねお駒ちゃん、桔梗紋は明智家だけではないのです。明智家が桔梗紋を用いているのは、そもそも美濃守護の土岐氏の支流であるからです。だから守護の土岐家でも当然桔梗紋を用いていますし、支流の肥田氏や瓜生氏らも用いていました。

南北朝時代には、土岐氏のもとで武士団として形成された「桔梗一揆」という国人一揆があって、土着の彼らは土岐氏の桔梗紋にちなんで同じ桔梗紋を用いました。

だから、実際美濃には桔梗紋を用いる家はたくさんあるわけです。まだ運命を感じて涙するのは早い……けれど、これからも多分手がかりは小出しにされるでしょう。

器量よりも嫡男であること

前回、松平広忠の件で父からめちゃくちゃに怒られた信長ですが、今回も意見が対立しました。

信長の庶兄・信広が今川に生け捕りにされ、今織田家の人質となっている松平竹千代の身柄と交換して救うかどうか、という選択を迫られているのです。

信長は人質交換に断固反対。「戦下手な兄上の自業自得」「捕まる前に腹を切るべきだった」と言い放ち、今竹千代を手放すべきではないと主張したのです。

この様子に、母の土田御前は「弟の信勝のほうが器量がいいのだから、信勝を当主にすべき」と言います。しかし、父の信秀はまったく揺らぎません。「多少の器量の差なら嫡男を優先する」と。

物事には天が与えた順序があって、それを変えると無理が生じてよくないことが起こる、と。信秀自身も、「器量がいいのは弟の信光だとよく言われたものだ」と笑います。

兄弟の誰が相続するか、これは時代によってもいろいろですが、嫡流が正当な血筋で、庶流よりも上、というのは基本です。それでも戦国時代は分家に本家が実権を奪われたり、下克上されたり、実力主義ない地面もありますが……。

嫡男に相続させるというのは、年長者と年少者の間の秩序「長幼の序」にもつながる考え方です。江戸時代、徳川将軍家はこれを重んじて、嫡流の地位を維持して権威を保ちました。

「順序を変えると無理が生じる」とは、つまりいらぬ争いを起こす原因になるということです。信秀のこうした考え方によって信長は無事家督相続します。

土田御前は「器量は信勝のほうがいい」なんて言っていますが、前回信勝は10歳にもならない竹千代に将棋で手加減されたことにも気づかないで、どこが器量よしなのか……。信長と信勝の才覚の差は明らかです。

おまけに、兄を見捨てるべきだと主張した信長の意見は、岳父・道三とも一致します。

道三は「信秀が信広を見捨てるならまだ見どころがある」と笑っていました。道三と信長はまだ一度も対面していませんが、相性がいいようですね。ここからも信長の非凡さがうかがえます。

信長と竹千代

今回、いちばんヒヤヒヤしたのは信長と竹千代が将棋を指す場面でした。

「もうお前とは将棋を指さない」と言う信長に、「私の父を殺したから子の自分に気を遣っているのか」とストレートに問う竹千代。「私は父が大嫌いでした。討ち果たされたのも致し方ないこと」と言う竹千代に、信長はそれならば、と対局を始めます。

父が討たれたことは仕方がないという竹千代と、生け捕りにされた兄を見殺しにすべきという信長はよく似ていますね。竹千代はこの後に信長と同盟を結ぶことになりますが、はやくも信長と渡り合う武家の当主としての才能を見せています。

将棋を指しながら、「お前と兄を取り替える話がある」「わしはお前を今川へ行かせたくはないが、しかし迷いはある」と本題を切り出す信長は、賢いですね。

「迷いはある」と強調することで、「お前にはものすごい価値がある。自分はそれを買っている」のだと示し、心をつかみます。

竹千代は自ら「今川は敵で、いずれ討ち果たすべき相手。敵を討つには敵を知れという」と言って、今川の人質になることを承諾します。

こうして信長は、今川の人質になる竹千代の心をつなぎとめたまま、兄の命を救うことに成功するわけです。うまい。信長の望みを察知して自ら今川に潜り込もうという幼い竹千代も恐ろしい子です。

だいたい信長のキャラクターって「こわい」に振り切っていて、どの大河でもそれが前面に押し出された印象がありますが、染谷将太の信長は「人が喜ぶと嬉しい」「お前ともっと鉄砲について語り合いたい」と無邪気に笑う一面もあり、感情の乱高下がすごいのです。

フラットな状態が「こわい」今まで信長と違い、どこがスイッチ切り替えポイントかわかりづらいので余計にこわく感じるのでしょう。

しかし、家康は父だけでなく正室と嫡男まで信長に殺されることになるのですが、そのときも今と同じように冷静でいられるのでしょうか。

早くも「本能寺の変家康黒幕説」でいくのでは?とささやかれていますが、そうなるかどうかはまだ判断が難しいところです。


【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)


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