なぜ毛利元就は厳島合戦の際に桂元澄を派遣したんでしょうか?

中国地方の関ヶ原といえる厳島合戦で毛利元就が陶の軍勢を厳島に誘き寄せるために、わざわざ陶の元に派遣して陶に内応を約束させた武将がいます。その武将は桂元澄ですが、なぜ毛利元就は桂元澄を陶のもとに派遣したんでしょうか?

( 正解率は 53 % )

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 ざんねん…

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答えは「桂元澄は父親が毛利元就に謀反を起こして毛利元就に殺されており、その際に毛利元就に謀反を起こした事が実際にあり、今でも恨みを持っていると陶が考えていると毛利元就が考えていたから。」

  回答内訳

49人 が回答済です

桂元澄は父親が毛利元就に謀反を起こして毛利元就に殺されており、その際に毛利元就に謀反を起こした事が実際にあり、今でも恨みを持っていると陶が考えていると毛利元就が考えていたから。(26回答)
53%
桂元澄の愛人は毛利元就に見初められ、側室にされたため恨みを持っていると陶が考えると毛利元就が考えたから。(5回答)
10%
桂元澄は元は陶の親戚筋で、簡単に内応し挟み撃ちにできると陶が考えるのではと毛利元就が考えたから。(5回答)
10%
桂元澄は毛利隆元(毛利元就の嫡男)が大内氏の人質時代に隆元のそばにおり、陶と交流していた。そのため陶とは仲良かった。陶は桂の言うことであれば簡単に信じると毛利元就は考えたから。(13回答)
26%

※未回答での閲覧回数は 3回

 解説

厳島合戦では桂元澄の動きが勝敗を決したと言っても過言ではありませんでした。最初は陶も桂の言うことを信じませんでしたが、真摯な桂の言葉(これも毛利元就の謀略)を信じて、狭い厳島に布陣してしまい、背後を毛利軍に奇襲され壊滅しました。最後まで桂が援軍に来ると信じていたようです。厳島合戦は毛利元就の真骨頂とも言うべき合戦でした。

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