賤ヶ岳の戦いで戦死した柴田勝家。その子孫はどうなった?

北ノ庄城跡(福井県福井市)にある柴田勝家像

天正11年(1583年)に賤ヶ岳で羽柴秀吉と戦い、敗れて戦死した柴田勝家ですが、その子孫はどうなったのでしょうか?

( 正解率は 34 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「幕府旗本として陣屋を構えた」

  回答内訳

101人 が回答済です

越前で農民となった(21回答)
20%
越前にある柴田神社の神官となった(35回答)
34%
幕府旗本として陣屋を構えた(35回答)
34%
キリシタンとなってマニラへ渡った(10回答)
9%

※未回答での閲覧回数は 12回

 解説

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉によって滅ぼされたあと、勝家の養子となっていた勝政の子勝重は徳川家康に仕えて幕府旗本となっています。

そして関ヶ原の戦いや大坂の陣で大きな戦功を挙げたため、上野国と武蔵国で2500石の知行を与えられました。東京都三鷹市の新川団地は勝重の陣屋跡だとされ、島屋敷遺跡と呼ばれています。

勝重は寛永9年(1632年)に52歳で亡くなりますが、その後も幕府旗本として家名を後世に伝えています。


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