御家人の山内首藤経俊(やまのうちすどう つねとし)は源平合戦の一つ、石橋山の戦いで源頼朝と敵対。その頼朝の命を狙って矢を放っているにもかかわらず、経俊は最終的に助命されましたが、それは一体なぜでしょうか?
( 正解率は 58 % )正解!
ざんねん…
答えは「経俊の母は頼朝の乳母だったから」
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山内首藤氏は、古くから源氏と関係が深く、源氏譜代の郎等ともいえるような一族でした。平治の乱には、経俊の父と兄が頼朝の父・源義朝に従って参戦しています。しかし、家督を継いだ経俊は、石橋山合戦では大庭景親の軍に従い、平家方として頼朝の前に立ちふさがります。合戦時に彼の放った矢が、頼朝の鎧の袖に刺さったというエピソードもあります。
その後、経俊は捕らえられ、所領の山内荘は取り上げられてしまいます。処刑が決まった経俊の助命を願い出たのが、彼の母・山内尼でした。彼女は頼朝の乳母(めのと)のひとりでした。
涙ながらに訴える乳母の姿に、頼朝は心動かされたのでしょうか。経俊はなんとか死刑を免れたのです。
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