毛利と尼子の争奪戦の舞台となった資源地帯とは?

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防長経略によって旧大内領を制圧した毛利氏でしたが、とある資源地帯をめぐって尼子氏と争います。その争奪戦の舞台となった場所とは?

( 正解率は 84 % )

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答えは「石見銀山」

  回答内訳

215人 が回答済です

足尾銅山(16回答)
7%
石見銀山(182回答)
84%
生野銀山(8回答)
3%
大森鉱山(9回答)
4%

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 解説

戦国時代、最初に石見銀山(いわみぎんざん)の支配権を握ったのは大内氏でした。しかし出雲の尼子氏が銀山をめぐって争奪戦を繰り返し、大内氏の衰退に伴って尼子氏が支配権を握るようになります。

ところが安芸の毛利元就が厳島の戦いで勝利すると、その後の防長経略によって旧大内領を支配下に収めました。

やがて銀山は毛利と尼子の争奪戦の舞台となり、永禄5年(1562年)になると毛利氏が奪取に成功。さらに要塞化を進めたといいます。関ヶ原の戦いで徳川氏に敗れるまで、毛利氏は40年近くにわたって銀山を支配していました。


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