徳川家康に仕えた忍者といえば?

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徳川家康の家臣には、有名な伊賀の忍者がいたといわれていますが、それは次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 85 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「服部半蔵(はっとり はんぞう)」

  回答内訳

916人 が回答済です

風魔小太郎(ふうま こたろう)(41回答)
4%
服部半蔵(はっとり はんぞう)(783回答)
85%
霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)(38回答)
4%
猿飛佐助(さるとび さすけ)(54回答)
5%

※未回答での閲覧回数は 156回

 解説

服部半蔵の父・保長(やすなが)は、伊賀忍者の一族だったようです。 服部家を継いだ半蔵は、伊賀忍者を率いて徳川家康に仕え、数々の武功を挙げています。

半蔵の凄さを示す、エピソードをご紹介しましょう。

「本能寺の変」の原因が、信長から家康が受けた接待にあるとの説もあり、切腹を考えるほど危機的な状況だったようです。

このころ家康は、堺見物の接待の後で京へ向かう途中でした。34人のお供の中に伊賀出身の半蔵がおり、家康は三河へ帰るため、伊賀越え(「神君伊賀越え」)を決めます。

半蔵は茶屋四郎次郎(ちゃやしろじろう)と共に、甲賀の多羅尾光俊(たらお みつとし)に協力要請しました。そして、両忍者たちへ集合の狼煙を上げます。翌日には伊賀忍者200人と甲賀忍者100人が集まったのです。おかげで家康は危険な地を通過して、無事三河へ帰還できました。

伊賀越えが危険だった証拠に、穴山梅雪(あなやま ばいせつ)は一揆勢によって落命しています。


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