徳川家康の家臣には、有名な伊賀の忍者がいたといわれていますが、それは次のうち誰でしょうか?
( 正解率は 85 % )正解!
ざんねん…
答えは「服部半蔵(はっとり はんぞう)」
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服部半蔵の父・保長(やすなが)は、伊賀忍者の一族だったようです。 服部家を継いだ半蔵は、伊賀忍者を率いて徳川家康に仕え、数々の武功を挙げています。
半蔵の凄さを示す、エピソードをご紹介しましょう。
「本能寺の変」の原因が、信長から家康が受けた接待にあるとの説もあり、切腹を考えるほど危機的な状況だったようです。
このころ家康は、堺見物の接待の後で京へ向かう途中でした。34人のお供の中に伊賀出身の半蔵がおり、家康は三河へ帰るため、伊賀越え(「神君伊賀越え」)を決めます。
半蔵は茶屋四郎次郎(ちゃやしろじろう)と共に、甲賀の多羅尾光俊(たらお みつとし)に協力要請しました。そして、両忍者たちへ集合の狼煙を上げます。翌日には伊賀忍者200人と甲賀忍者100人が集まったのです。おかげで家康は危険な地を通過して、無事三河へ帰還できました。
伊賀越えが危険だった証拠に、穴山梅雪(あなやま ばいせつ)は一揆勢によって落命しています。
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