【豊臣兄弟!】本能寺の変において織田信長に一番槍した武将が8千石を与えられた訳
- 2026/07/13
濱田浩一郎
:歴史学者・作家・評論家
- ※本記事は一部にプロモーションを含みます
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第27回は「本能寺の変」。小栗旬演じる織田信長が最期を迎える「本能寺の変」が描かれました。江戸時代中期の随筆『翁草』(著者は京都町奉行所の与力を務めた神沢杜口。史料的価値は低い)には、本能寺の変にまつわる興味深いエピソードが記されています。
信長が宿泊する京都・本能寺を十重二十重に包囲した明智軍は屏重門から寺に乱入。一方、信長は白綾の単衣を着ており、弓矢を携えていたそうです。そして次のような怒声を発したとのこと。
「ここに来る者は明智光秀の手下の者か。無道に与する奴原。1人1人、射殺してくれる」
と。信長、怒りの大音声に明智軍の兵士は辟易し、門外にて躊躇っておりました。そうした中、槍をもってして、信長に突き掛かっていった男がおりました。「安田作兵衛」という人物です。
作兵衛は名乗ると、信長を槍で突いたのですが、信長もまた作兵衛に弓矢を放ちます。その弓矢は作兵衛の肘に当たりますが、軽傷でした。よって、作兵衛は信長をまた刺さんとします。信長が障子を閉ざして部屋に入ろうとしたところを、作兵衛は障子越しに刺したのでした。
作兵衛は(よし)と手応えを感じ、障子を開けたところに立ち塞がったのが、信長の小姓として有名な森蘭丸です。蘭丸は十文字の槍で作兵衛を縁先の溝に蹴落とし、槍で作兵衛を突いたのです。槍は作兵衛の急所(股の間、男根の半ば)に当たったとのこと。かなりの痛みだったでしょうが、作兵衛は屈せず、槍を持って溝から起き上がり、ついには蘭丸を刀で斬り殺すのです。作兵衛の働きに鼓舞されたのか、明智軍は勢い付いて寺に乱入、火を放ちます。これにより、織田家は不意に「滅亡」したと『翁草』は記しています。
同書によると、作兵衛は後に寺沢志摩守広高に仕え、平野源右衛門と改名。広高は豊臣秀吉から肥前国唐津8万石に封ぜられますが、その時、源右衛門(作兵衛)は広高から8千石を与えられます。これは友人関係にあった2人がかつて「今は乱世。槍先でもって国郡の主となったならば、一方に十分の一を取らせて家臣にしよう」と約していたことによります。広高はその約束を守ったのです。





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