15〜70歳全員が対象?後北条氏の徴兵令に見る「戦国農民」のリアル

  • 2026/07/22
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 血で血を洗う戦国乱世、修羅場に身を置くのは武士だけではありませんでした。領内の農民たちも兵士として駆り出されることが少なくなかったようです。

 今回は関東の雄・後北条氏の領内で起こった徴兵の様子を紹介したいと思います。

村に触口がやってきた!

 時は天正15年(1587)7月、第4代・北条氏政は領内に住む領民たちを徴兵するよう命じました。上方で政権を握っている豊臣秀吉が、そろそろ関東征伐を考えているという情報を耳にしたからです。

 氏政の命を受けた家臣たちは、自身が抱える触口(ふれくち)に対して、各自の担当する村落へ向かわせました。触口とはその名のとおり、殿様の発した「お触れ」を知らせてまわる「口」の役割を果たす者たちを指します。

 そんな触口の一人(小触口)が、相模国鎌倉郡岩瀬村(神奈川県鎌倉市)へとやってきました。

名主「これはお侍様、今日はいったいどんな御用で?」

触口「動員がかかった。兵役に出す者の交名(きょうみょう。名簿)を作成し、早急に提出せよ」

一、村の貫高に応じた人数を兵役に出すこと。
一、役に立たない者を兵役に出してはならない。
一、兵役に出す者には、弓・槍・鉄砲いずれかを持たせること。

 岩瀬村の貫高は191貫970文。現代の貨幣価値で約10万円/貫として、およそ1,920万円です。この貫高に対して、北条氏は8人の兵役を義務づけました。

 ほか同国大住郡廣川村(平塚市)では98貫985文(約990万円)の貫高に対して4人、同国三浦郡佐原村(横須賀市)でも80貫文(約800万円)に対して4人の兵役が義務づけられています。

 このように各村から兵役名簿が作成・提出され、とりまとめられた上で陣触(じんぶれ。出陣命令)が発せられたのでした。ただし、この時は動員準備だけで、実際の出陣には至らなかったそうです。

誰だって戦争は嫌?

農民甲「あぁ。戦さがなくて、よかったな」

農民乙「何を言ってるんだ。いつか戦さが起こったら、兵役にとられることは変わりねぇ」

 その不安は見事に的中。翌天正16年(1588)7月になると、今度は総動員令が発せられました。

一、15歳以上70歳以下の男性は、すべて兵役につくべし。
一、農民に限らず、領内に住む者は、たとえ猿引(さるひき。猿回し)でも兵役を免れない。
一、指定日時に指定場所へ集まり、徴兵検査を受けるべし。
一、各人が得道具(えどうぐ。使い慣れた武器)を持参せよ。
一、武器を所持していない者は、鍬でも鎌でも持参せよ。

 いよいよ秀吉の侵攻が現実味を帯びて、北条氏としてはなりふり構っていられない様子が目に浮かぶようです。

 にしても、領主が領民に対して「どうせお前ら、武器を隠し持ってるんだろ?ありったけ持って来いよ!こういう時のためにこそ、日ごろ見逃しているんだからな!」とばかりに命じているのは、何ともシュールに感じます。

 しかし当時は村落同士の抗争(水争いなど)が頻発していたから、丸腰でいるなど考えられません。また食糧調達のために狩猟なども行いました。刀なんて当たり前、槍に弓に火縄銃まで……何かあれば武装蜂起しかねない領民たちを統治するのは、かなり気を遣ったことでしょう。

 それにしても「お殿様やお侍様がたの焦りが見えるということは、どうもこちらは劣勢みたいだ。負ければ十分な褒美なんてもらえないだろうし、気が進まないなぁ……」そんな農民たちの憂鬱感が偲ばれます。

 しかしお殿様が負けようと滅びようと、戦場に出れば略奪のチャンスがないわけでもありません。もちろん勝てば武功に応じた褒美がもらえたり、お侍に取り立てられたりするかも、などと期待する者もいたことでしょう。

 戦争は死傷や財産被害のリスクがある一方で、ケースによっては蓄財や立身出世の可能性もあるにはありました。そう考えると、一概に「戦争は嫌だ」と思う者ばかりでもなかったようです。

何を持っていけばいい?

 いざ陣触が発せられると、大名はまず郡代(ぐんだい。郡単位を支配する代官)へ伝令を発しました。伝令を受けた郡代は先ほどの触口に伝え、そして触口は小触口に命じて各村落や地侍らへ伝えられます。

 「さぁいよいよ出頭だ」となった時、兵士らは何を持っていけばいいのでしょうか。

 自前で武器や防具を持っていれば装備して、食糧(※一定日数以内の出陣では支給されないことも多い)や生活物資なども用意しなければなりません。また、戦況によって縄や鉈(なた)、鍬(くわ)に鉞(まさかり)そして畚(もっこ)などを持参するよう指示されることもありました。武器というより工具ですが、これらは陣地構築や破壊工作などの場面で大活躍したのです。

 戦さというのは単純に殺し合うばかりではなく、むしろ陣地を構築したり陣中で生活したり、あるいは敵陣へ嫌がらせしたりといった作業が大半でした。他にも岩を砕くための鶴嘴(つるはし)や金棒が用いられたケースもあり、力自慢の者はこれらを奮って武勇を発揮したことでしょう。

 こうしてあれやこれやと持参すると、とても指定された人数だけでは運びきれません。どうせなら村を挙げて、わいわいと賑やかに参陣した者たちもいたであろうと考えられます。

徴兵検査に出頭しました!

 何やかんやで支度を整えた者たちは村を出発し、郡ごとに指定された招集場所へ出頭しました。

 例えば相模国三浦郡木古庭村(葉山町)の者たちは同郡公郷原(くごうはら。横須賀市)に集合するよう指定されています。みんながいきなりお城へ押しかけると大混乱になるでしょうから、まずは整理してから集結させたのでした。

農民丙「木古庭村のナニガシ以下3名、着到(ちゃくとう)願います!」

 着到とは到着と同じ意味で、ここでは北条氏の使者である公方検使(くぼうけんし)に対して、ちゃんと命令通りに出頭したことの証明を求めています。

 申告を受けた公方検使は木古庭村からやってきた3名をチェックし、人員や持参した武装などを記録。これを「着到を付ける(帳簿をつける意)」と言いました。

 少なくとも数十人から数百人、多ければ数千人にものぼる出頭者たちの着到をつけていくのは、さぞ大変だったことでしょう。

 着到をつけられた者たちはさっそく配属されて任地や部隊へ赴いたり、予備戦力としてひとまず村へ帰されたりしました。

 岩瀬村や廣川村、佐原村に木古庭村の者たちはどうなったのでしょうか。

終わりに

 今回は戦国時代の農民たちが、戦場に駆り出される様子を紹介してきました。古今東西、戦争の悲惨さは変わりませんが、過酷な乱世にあっても懸命に生き抜こうとする人々のしたたかさが感じられます。

 大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公・小一郎(演:仲野太賀)と藤吉郎(演:池松壮亮)も農民出身であり、若い頃にこのような場面を体験したのかもしれません。また、第1回放送「二匹の猿」では、姉とも(演:宮澤エマ)が戦さが始まるから略奪に行くよう、小一郎をけしかける場面も印象的でした。

 今回の記事が、武士も農民も懸命に生き抜いた戦国時代を味わう一助となれば幸いです。

【参考文献】
  • 藤木久志『村と領主の戦国世界』(東京大学出版会 1997年)
  • 盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』(洋泉社 2016年)
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  この記事を書いた人
鎌倉の最果てに棲む、歴史好きのフリーライター。時代の片隅に息づく人々の営みに強く興味があります。 得意ジャンル:日本史・不動産・民俗学・自動車など。 執筆依頼はお気軽にどうぞ!

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