【豊臣兄弟!】備中高松城水攻めは『武功夜話』『太閤記』にどのように描かれたのか?
- 2026/07/06
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大河ドラマ「豊臣兄弟!」第26回は「信長を笑わせろ!」。天正10年(1582)4月から始まった羽柴秀吉による毛利方の備中国高松城(岡山県岡山市北区)攻めが描かれました。
『太閤記』(江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵の著した秀吉の伝記)に高松城は「名城」と記述されていますが、『武功夜話』(尾張国の土豪・前野家の動向を記した覚書などを集成した家譜。偽書との説もある)にも「節所の堅城」とあります。
『武功夜話』によると、秀吉は高松城を守る清水宗治を「調略」せんとしますが、上手くいかず、ついに総攻撃を決意するのでした(『太閤記』には宗治は勇士であり、智将と記されています)。宗治も秀吉方の攻撃に一歩も退かない構えでした。
秀吉軍は城攻めを開始しますが、高松城は「堅固」であり、堀割りは「広大」で攻めあぐねます。城内からは鉄砲が盛んに放たれました。そこで考案されたのが水攻めでした。足守川を堰き止め、水を引き入れることを秀吉は考案し、その作業が開始されます。秀吉は、高松城を救援せんとする毛利の大軍が「着陣」せぬ間に、日限を設けて昼夜を分かたず築堤を完成させようとしました。
『武功夜話』では、何としても工事を完成させるべく、秀吉が陣頭指揮をとったと記されています。『太閤記』には堤を築くための作業が昼夜を分かたず行われ、十数日で堤は完成したとあります。
『武功夜話』には水攻めの惨状は記されていませんが、『太閤記』には、居場所を失った蛇・鼠・イタチが床の上に幾度も現れて、女・子供は気絶せんばかりだったと書かれています。堰き止めてできた湖水には水が日毎に溜まっていき、城中の人々は網にかかった魚、籠の中の鳥と同じ状態でした。秀吉は主君・織田信長に援軍を要請していました。高松城の運命はまさに風前の灯火だったと言えるでしょう。

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