秀吉による北条攻めで小田原開城を余儀なくされた北条氏。翌年には五代当主のも病没し、子はなく、いとこの氏盛に継がれ、河内狭山藩の立藩に至りますが、実は氏直には仙台に落ち延びたという嫡男がいたとかいないとか。
さて、明治23年自称子孫の仙台藩士が早雲寺に墓まで立てた氏直の嫡男とは何という人物でしょうか?
( 正解率は 29 % )正解!
ざんねん…
答えは「氏次」
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元仙台藩士の桑島政貫が言うには、桑島家の家祖である氏時が氏次の子であるとか。その氏次は何者かというと、仙台松山寺にあった墓碑に、北条氏直と督姫の子で北条善右衛門尉氏次といい、1672年に88歳で死去したのだとか。
実際には氏直の子は娘二人のみが確認されているだけであり、現在では嫡男がいたとは見なされていないようです。
ちなみに長綱は初代当主である北条早雲の末子(男児の中で)であり、仏門に入って「北条幻庵」を名乗った北条一門の重鎮です。 また、氏隆はその幻庵の孫にあたります。氏光は三代当主である北条氏康の子で、氏直の叔父にあたります。