織田信長のお宝が残る、岐阜にあるお寺は?

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織田信長と嫡子信忠が「本能寺の変」で絶命した時に、信長の側室・お鍋の方が遺品を送り、位牌を安置させたお寺はどこでしょうか。

( 正解率は 30 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

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答えは「崇福寺(そうふくじ)」

  回答内訳

292人 が回答済です

善光寺(ぜんこうじ)(74回答)
25%
大徳寺総見院(だいとくじ そうけんいん)(72回答)
24%
崇福寺(そうふくじ)(89回答)
30%
円徳寺(えんとくじ)(57回答)
19%

※未回答での閲覧回数は 19回

 解説

信長は天下統一の拠点とした岐阜城に入ってすぐに、この崇福寺を菩提寺に定め、保護しています。 側室のお鍋の方は、1582年本能寺の変で信長と信忠が自刃したと知るや否や、崇福寺に遺品を手紙と共に送った、と伝わっています。

本堂の裏庭に、信長の位牌があり、肖像画や櫓時計、墨書、教訓の絵など、信長が残した多くのお宝が現在も保存されています。 本堂の裏にはもう一つ、「信長・信忠父子廟」があります。

時代は新しくなりますが、1600年の関ケ原の戦いの時、信長の孫の織田秀信が家来の反対を押し切って西軍につきます。 合戦の前哨戦で、岐阜城が落城しました。

落城の際についた鎖かたびらや鎧ひだたれの、血痕が床板に残りました。現在も、「血天井」として、お寺の天井に張られています。


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