尾張徳川家の名古屋城。信長時代にはどう書いていた?

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愛知県名古屋市にある「名古屋城(なごやじょう)」。この漢字の表記は江戸時代以降のものです。さて、それ以前はどのような漢字で書かれていたのでしょうか?

( 正解率は 72 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「那古野城」

  回答内訳

342人 が回答済です

根古屋城(8回答)
2%
那古野城(248回答)
72%
名護屋城(82回答)
23%
南小屋城(4回答)
1%

※未回答での閲覧回数は 37回

 解説

現在の名古屋城二の丸付近には、名古屋城の前身と言える「那古野城」が建っていました。築いたのは駿河の戦国大名今川氏の一門である氏豊です。

やがて織田信長の父である織田信秀が、那古野城を奪い取ることに成功し、その後は嫡男の信長に与えられます。 信秀の死後、当主となった信長は清須織田氏を滅ぼして清須城に移りますが、その後も那古野城は軍事拠点として活用されていたようです。

信長が天下をほぼ手中にした天正10年(1582年)頃になって廃城となり、その後、徳川家康が新たに名古屋城を築きました。


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