井伊直政の部隊「井伊の赤備え」のモデルになった将は?

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精鋭部隊の象徴であり、朱色で統一した赤備の部隊「赤備え」。徳川家臣である井伊直政の軍団は「井伊の赤備え」と言われ、とある武将からこの部隊を引き継ぎました。その武将とは次のうち誰でしょうか。

( 正解率は 83 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「山県昌景(やまがた まさかげ)」

  回答内訳

496人 が回答済です

山県昌景(やまがた まさかげ)(415回答)
83%
酒井忠次(さかい ただつぐ)(45回答)
9%
今川義元(いまがわ よしもと)(18回答)
3%
北条氏康(ほうじょう うじやす)(18回答)
3%

※未回答での閲覧回数は 48回

 解説

山県昌景は武田四天王の一人に数えられ、武勇に優れた武田家臣です。朱色に統一された部隊を率いて、「赤備え」として諸大名から恐れられました。

1582年、武田家が滅び、織田信長も本能寺の変で横死すると、徳川家康はその旧領である甲斐国や信濃国の領土確保に動き出します。(天正壬午の乱)

家康はこの戦いで甲斐国を手に入れ、旧武田家臣も配下に組み入れたのち、武田家の軍法を採用しています。その中で山県昌景の旧臣(赤備え)は井伊直政の下に配属されました。のちに直政隊は「井伊の赤備え」として恐れられたといいます。

ちなみに赤備えを一番最初に率いていたのは、実は山県昌景ではなく、彼の兄と伝わる飯富虎昌(おぶ とらまさ)です。


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