金ヶ崎の退き口、殿(しんがり)は誰?

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織田信長が越前朝倉軍との戦いで命からがら退却した「金ヶ崎の退き口(1570年)」において、織田軍の撤退時に殿(しんがり。後退する部隊の中で最後尾を担当する部隊)を勤めたのは、羽柴秀吉、池田勝正、あともう一人は誰でしょうか?

( 正解率は 81 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「明智光秀」

  回答内訳

1058人 が回答済です

柴田勝家(87回答)
8%
丹羽長秀(69回答)
6%
松永久秀(36回答)
3%
明智光秀(866回答)
81%

※未回答での閲覧回数は 295回

 解説

金ヶ崎の退き口、もしくは金ヶ崎崩れは、元亀元年(1570年)に越前国で起きました。

朝倉氏本拠に向かい、織田・徳川連合軍が越前を南から攻め進め、その途中にある手筒山城、金ヶ崎城、疋壇城を攻略しました。ところが、そこで織田と同盟関係にあった浅井長政が離反し、北近江から連合軍に向かって軍を進めてきました。このままでは敵地で挟み撃ちに遭ってしまうため、連合軍は京までの撤退を決定しました。

その時に殿(しんがり)、つまり撤退する軍の最後尾で敵の追撃に対応する役目を担ったのが、羽柴秀吉、池田勝正、そして明智光秀でした。

信長、秀吉、家康、そして光秀の、歴史上の有名人たちが同じ陣営で奮戦した出来事です。


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