正解!
ざんねん…
答えは「初代総理大臣になった人」
146人 が回答済です
※未回答での閲覧回数は 12回
伊藤博文は明治時代の政治家で、長州藩(山口県)で倒幕運動に奔走した後、明治政府で実力者として台頭し、初代内閣総理大臣に就任したり、大日本帝国憲法を制定したりと、日本の政治を支えてきた人物です。 伊藤は天保12年(1841)に長州藩の農家に生まれました。父が武士の身分を得たことから下級ながら武士の仲間入りをし、吉田松陰の松下村塾で学ぶ機会にも恵まれました。松陰は伊藤の才覚を高く評価していたといいます。 長州藩の命令でイギリスに留学しますが、米英仏蘭四国連合艦隊の長州藩攻撃の計画を知って急きょ帰国し、藩に対して攘夷から開国への転換を進言。さらに、高杉晋作らとクーデターを起こし、長州藩を倒幕へと押し進める原動力となりました。 明治時代になって新政府に出仕した伊藤は、外国事務掛をはじめ、要職を歴任します。明治4年(1871)には岩倉使節団に加わって欧米諸国の視察を行うとともに、大久保利通の信頼を受けるようになります。 政府の最高権力者だった大久保が暗殺されると、後継者として伊藤が台頭してきます。明治14年(1881)に伊藤は、早期の国会開設を訴えていたライバルの大隈重信らを追放する政変によって、権力者としての地位を固めていきます。そして明治18年(1885)の内閣制度発足に伴い、伊藤が初代内閣総理大臣に就任しました。伊藤内閣は市町村制の整備や学校令の制定などを行い、帝国議会(国会)開設と憲法制定に向けた準備にも取り組んだのです。 伊藤は、憲法草案作りに専念するために総理大臣を退き、明治22年(1889)に大日本帝国憲法が発布され、翌年に第1回帝国議会が開設されると、初代貴族院議長に就任しました。 明治25年(1892)に2度目の内閣総理大臣に就くと、幕末に外国と結んだ不平等条約の改正に尽力し、日清戦争終結後の和平交渉にもあたりました。このあとも伊藤は2度総理大臣に返り咲き、生涯で4度の総理大臣就任を経験することになります。伊藤が立憲政友会の総裁となって組閣した第4次内閣は、政党内閣として期待されながらも長くは続きませんでした。 その後、伊藤は元老として重要政策の決定にかかわり、とくに日露戦争の前後にはロシア帝国との交渉に関与します。明治38年(1905)に朝鮮半島支配の拠点となる韓国総監府の初代総監に就任し、韓国統治に尽力します。 明治42年(1909)、対ロ交渉のためにハルピンを訪れた伊藤は、朝鮮独立運動家の安重根に暗殺され、69歳の生涯を閉じたのでした。
記事でくわしく知りたい
こんなクイズもあります
キーワードで探す
時代別で探す
テーマ別で探す