江戸時代、年貢はどのように徴収された?

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江戸時代の税である年貢は実際にはどのようにして納められたのでしょうか。次のうち、正しい説明文を選んで下さい。 ( 正解率は 40 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「検地帳にもとづいて、村役人が村単位で徴収し、代官に納入した」

  回答内訳

32人 が回答済です

検地帳にもとづいて、村役人が村単位で徴収し、代官に納入した(13回答)
40%
検地帳にもとづいて、五人組ごとに代官に納入した(11回答)
34%
検地帳に登録された本百姓ごとに代官に納入した(5回答)
15%
代官が村に出張し、一人一人の農民から確実に収納した(3回答)
9%

※未回答での閲覧回数は 4回

 解説

 村には村方三役(名主・組頭・百姓代)という、代官や郡奉行の下で村の政治を行なった村役人がいて、基本的には自治が行われていました。村方三役は現地の農民のうち、有力な家系の人などが任命されたようです。

 年貢も村単位で請け負いされていて、これを「村請」といいました。もし一人でも払わない者がいれば村全体の責任となります。幕府や大名は、この自治組織である村組織に依存して年貢の徴収を行なっていました。

 また、「五人組」とは、幕府が町や村に作らせた近隣5家1組の組織のことであり、連帯責任を負う自治単位です。

 なお、村には本百姓以外に、小作や日雇いで暮らす水呑、本百姓に隷属している名子、被官などの身分の百姓が多数くらしていましたが、彼らは自治組織の構成メンバーではありませんでした。


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