京極高次は、周りからどんなあだ名で揶揄された?

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大津城の戦いで粘り強い戦いを見せた京極高次ですが、元々は周りからどんなあだ名で揶揄されていたのでしょうか? ( 正解率は 55 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「蛍大名」

  回答内訳

154人 が回答済です

猿大名(10回答)
6%
犬大名(23回答)
14%
蛍大名(85回答)
55%
おもらし大名(36回答)
23%

※未回答での閲覧回数は 9回

 解説

 京極高次は織田家に仕えていましたが、1582年の本能寺の変で信長が横死すると、明智光秀に味方して旧領を取り戻そうとしました。ところが山崎の戦いで敗れたことにより、追われる身となってしまいます。

 秀吉の側室となっていた妹竜子の嘆願により、許された高次は秀吉に仕えることになりました。さらに秀吉の側室淀殿の妹にあたる初を正室に迎えます。高次自身は大した功績もなかったのですが、6万石にまで加増されて大名に出世しています。

 これを見た周囲の人々は、高次のことを「妹や正室の尻で出世した」として蛍大名と呼んだそうです。しかし1600年の大津城の戦いでは、見事な抵抗を見せて若狭8万5千石の大名となりました。


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