刀伊の入寇で活躍した藤原隆家は、なぜ九州にいた?

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寛仁3年(1019)、女真族の海賊が壱岐、対馬、九州に侵攻してきた刀伊の入寇。この事件に対して、ときの大宰府の長官・藤原隆家(ふじわら の たかいえ)が指揮をとり、応戦しました。隆家は中納言という高官の地位にありましたが。朝廷の高官にいながら大宰府へ赴任した理由は何でしょうか? ( 正解率は 30 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「病気の治療のため」

  回答内訳

50人 が回答済です

九州へ旅行に行きたかったため(6回答)
12%
政治抗争に敗れたため(18回答)
36%
病気の治療のため(15回答)
30%
税金を取り立て私腹を肥やすため(11回答)
22%

※未回答での閲覧回数は 6回

 解説

 「御堂関白記」長和2年正月10日によると、隆家は「突目」という病を患っていた事がわかります。これは角膜に異物が刺さり、化膿してしまう病気のようです。この病を治す情報を集めていた所、博多に腕の良い宋の医師がいる事を知ります。

 そこで大宰府への赴任を望み、大宰府長官である大宰権帥へ任命されました。数年後、刀伊の入寇という、日本有史以来初めての大規模な外国勢力侵攻をうけるとは想像もしてなかったでしょう。


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