関ヶ原で西軍に所属した島津はなぜ処罰されなかったのか

天下分け目の関ヶ原の戦い。西軍に所属した石田三成をはじめ有力武将はほとんどが処刑、流刑とされましたが島津だけはお咎めなしでした。その理由はなんでしょうか?

( 正解率は 68 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「島津の領地が遠すぎた」

  回答内訳

22人が回答済 (※未回答での閲覧回数は 1回

島津の方言がキツすぎた (1回答、4%)
島津の見た目が怖すぎた (6回答、27%)
島津の領地が遠すぎた (15回答、68%)
島津のことが好きすぎた (0回答、0%)
 解説

島津の領地は九州の最南端、今の鹿児島にあり、家康の領地は江戸、電車も車もない時代に鹿児島まで従軍するとなればお金も時間もかなりかかります。

家康は関ヶ原の戦い当時58歳とすでに高齢で関ヶ原を制しても豊臣はまだ健在、死ぬまでに片付けないといけない問題が多数あります。島津への従軍を家康も当時考えたようですが、天下統一のため泣く泣く断念したようです。

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