鎌倉幕府初代執権の北条時政の息子で、源平合戦の一つ、治承4(1180)年の「石橋山の戦い」で若くして討ち死にしてしまったのは、次のうち誰でしょうか?
( 正解率は 64 % )正解!
ざんねん…
答えは「北条宗時(むねとき)」
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源平合戦において、北条宗時は源頼朝の挙兵に参加しましたが、石橋山で頼朝は平家軍に大敗。宗時は逃亡する途中に、父・時政を逃がそうとして平家軍と戦い、討ち死にしたと伝えられています。
ちなみに義時は宗時の弟で鎌倉幕府第二代執権、時房も宗時の異母弟で鎌倉幕府の初代連署で、彼ら二人は源平の争乱を生き残っています。
政範も宗時の異母弟で、10代で亡くなっていますが、京都にて病気で亡くなっていて討ち死にではありません。
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