関ケ原合戦後、細川幽斎が身を移した城は?

明治時代の丹波亀山城

関ケ原の戦いで田辺城に籠城した東軍(徳川方)の細川幽斎。講和後に城を明け渡し、のちに敵将の前田茂勝の居城に身を移されますが、その城は何城でしょうか?

( 正解率は 44 % )

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答えは「丹波亀山城」

  回答内訳

94人 が回答済です

丹波亀山城(42回答)
44%
丹波福知山城(17回答)
18%
丹後宮津城(25回答)
26%
摂津高槻城(10回答)
10%

※未回答での閲覧回数は 4回

 解説

1600年関ヶ原の戦いの一環として、細川幽斎が田辺城に籠城した戦いは、「田辺城の戦い」と呼ばれています。

西軍は畿内を抑えるため、細川忠興(幽斎の息子)の居城・丹後田辺城を包囲。この時、忠興は上杉討伐軍に参加していたため、田辺城の兵は少数で落城寸前にまで至ります。

しかし、細川幽斎は、当代きっての文化人でもあり、古今伝授の継承者。このため、伝授の断絶を恐れた朝廷の勅命による講和が成立します。

その後、幽斎は敵将の前田茂勝(前田玄以の息子)の居城・丹波亀山城に身を移されました。また、この籠城戦で釘付けとなった西軍の兵力は、2日後に起きた関ヶ原の戦いの本戦に間に合いませんでした。

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