天下統一に向かう織田信長は四国のある戦国大名を支援しました。明智光秀が取次役を担ったという、その大名とは次のうち誰でしょうか?
( 正解率は 89 % )正解!
ざんねん…
答えは「長宗我部元親」
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四国では天正6(1578)年ごろから阿波三好家が勢力を盛り返しつつありました。三好家中から擁立され、その実質的な当主となった十河存保(三好存保)を支援していたのが15代将軍・足利義昭や本願寺顕如、毛利氏らです。彼らは反信長勢力であり、存保も同様に反信長の立場を取りました。
これに対し、信長は四国平定を目指す土佐の戦国大名・長宗我部元親を支援して、共同戦線を張ることにします。このとき元親と信長の取次役を担っていたのが明智光秀でした。
当初は良好な関係を築いていた信長と元親ですが、信長は途中で方針を転換し、元親が十河存保から攻め取ったはずの所領を三男の神戸信孝と配下の三好康長に与え、自ら軍を率いて四国を平定しようとします。
元親は信長の方針に従えば、せっかく獲得した所領を失う羽目になります。この決定によって、両者の取次をしていた明智光秀も外聞を失うことになりました。
しかし信長は四国へ渡海する前の1582年の本願寺の変により倒れたため、上記の四国分国は実行されませんでした。
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