武田滅亡後、甲斐の国主に抜擢されたのは誰?

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戦国時代、織田信長・信忠父子による甲州征伐の結果、甲斐武田氏は滅びました。その後、甲斐国の支配を任された織田の部将は誰でしょうか? ( 正解率は 38 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「河尻秀隆」

  回答内訳

355人 が回答済です

河尻秀隆(138回答)
38%
森長可(47回答)
13%
滝川一益(124回答)
34%
明智光秀(46回答)
12%

※未回答での閲覧回数は 35回

 解説

 天正10年(1582)、織田信忠を総大将に甲州征伐が始まり、武田勝頼が自刃したことで名門武田氏は滅亡しました。その後、戦功のあった織田の部将に武田旧領が与えられ、先鋒として活躍した河尻秀隆(かわじりひでたか)は甲斐一国22万石を拝領しています。

 ところが本能寺の変で信長が亡くなると、織田に反感を抱いていた武田旧臣が一斉に蜂起。織田部将の多くは逃れたものの、秀隆は甲斐から離れることなく討ち死にしたとも、自害したとも伝わります。大泉寺の近くには「河尻塚」という石碑が残っているそうです。


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