武田滅亡後、甲斐の国主に抜擢されたのは誰?

...
戦国時代、織田信長・信忠父子による甲州征伐の結果、甲斐武田氏は滅びました。その後、甲斐国の支配を任された織田の部将は誰でしょうか? ( 正解率は 38 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「河尻秀隆」

  回答内訳

273人 が回答済です

河尻秀隆(106回答)
38%
森長可(40回答)
14%
滝川一益(96回答)
35%
明智光秀(31回答)
11%

※未回答での閲覧回数は 24回

 解説

 天正10年(1582)、織田信忠を総大将に甲州征伐が始まり、武田勝頼が自刃したことで名門武田氏は滅亡しました。その後、戦功のあった織田の部将に武田旧領が与えられ、先鋒として活躍した河尻秀隆(かわじりひでたか)は甲斐一国22万石を拝領しています。

 ところが本能寺の変で信長が亡くなると、織田に反感を抱いていた武田旧臣が一斉に蜂起。織田部将の多くは逃れたものの、秀隆は甲斐から離れることなく討ち死にしたとも、自害したとも伝わります。大泉寺の近くには「河尻塚」という石碑が残っているそうです。


 こんなクイズもあります