九州地方では、大友氏と島津氏は覇権を争い激しく戦いました。 天正6年大友宗麟と島津義弘はある川を挟んで戦をしますが、そこでの敗戦後大友氏は衰退して行きます。 戦場になった川の名前は何川でしょうか。
( 正解率は 24 % )正解!
ざんねん…
答えは「大淀川」
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九州では日向の地の覇権を伊東氏と島津氏が争いました。覇権争いに敗れた伊東氏は大友氏に救援を求めました。天正6年大友氏は6万人ほどの大群を率いて日向に出兵します。
島津氏も激しく応戦し、耳川を挟んでの戦いになりましたが、島津氏側の策略により敗戦してしまいました。この後、大友氏の勢力は弱まっていきました。そして大友氏は豊臣秀吉に救援を仰ぎ、豊臣秀吉の九州征伐につながっていきました。
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