秀吉による備中高松城の水攻め。このときの高松城主は?

羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の水攻めで知られる1582年の備中高松城の戦い。このときの高松城主で和睦後に切腹した武将は誰でしょうか。

( 正解率は 89 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「清水宗治」

  回答内訳

96人 が回答済です

安国寺恵瓊(4回答)
4%
吉川元春(3回答)
3%
清水宗治(86回答)
89%
毛利秀包(3回答)
3%

※未回答での閲覧回数は 7回

 解説

清水宗治(しみず むねはる)は毛利氏の家臣で備中高松城の城主です。1582年の備中高松城の戦いでは、敵の羽柴秀吉から備中と備後の2カ国を与えるという条件で降伏をすすめられるも、これに応じなかったといいます。

秀吉軍の水攻めで包囲される最中、本能寺の変が勃発して織田信長が横死。その後、秀吉は毛利氏との交渉で、「清水宗治の自刃を条件に城兵を助命する」という和睦を成立させました。その後まもなく、清水宗治は信長の死を知らぬまま切腹しています。

織田軍との和睦の証として後に城内の武士の助命の引き換えに自ら切腹します。 安国寺恵瓊は毛利家の外交担当の僧侶です。高松城の水攻ぜめ時は毛利方として織田方と和睦の交渉を担当しました。 吉川元春は高松城の水攻め時には毛利軍の諸将の一人として高松城の救援に向かった武将で高松城主ではありません。 毛利秀元は高松城の戦いには幼少という事もあり参加していません。

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