「流れ公方」と称された室町幕府将軍は?

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将軍職を追われ、諸国を流浪した経緯から「流れ公方」と称された室町幕府将軍は次のうち、誰でしょうか?

( 正解率は 49 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「10代将軍、足利義稙(よしたね)」

  回答内訳

269人 が回答済です

11代将軍、足利義澄(よしずみ)(28回答)
10%
10代将軍、足利義稙(よしたね)(134回答)
49%
12代将軍、足利義晴(よしはる)(60回答)
22%
13代将軍、足利義輝(よしてる)(47回答)
17%

※未回答での閲覧回数は 15回

 解説

足利義稙は日野富子の推薦により、9代将軍・足利義尚の後継者として選ばれたといわれていますが、一方で管領の細川政元は後継者候補として足利義澄(のちの11代将軍)を推していました。

こうした背景から義稙は延徳2(1490)年に将軍に就任するも、のちに明応2(1493)年のクーデター「明応の政変」で殺されかけ、脱走する羽目に・・・。その後、再起を図ってあちこちの大名を頼り、流浪することになりました。これが「流れ公方」と呼ばれる所以です。

しかし、永正4(1507)年に細川政元が暗殺され、政元の養子たちによる家督争いが勃発して中央が混乱したのをきっかけに、周防国の大内義興の軍事力を使って入京。まさかの将軍返り咲きを果たしています。


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