将軍職を追われ、諸国を流浪した経緯から「流れ公方」と称された室町幕府将軍は次のうち、誰でしょうか?
( 正解率は 50 % )正解!
ざんねん…
答えは「10代将軍、足利義稙(よしたね)」
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足利義稙は日野富子の推薦により、9代将軍・足利義尚の後継者として選ばれたといわれていますが、一方で管領の細川政元は後継者候補として足利義澄(のちの11代将軍)を推していました。
こうした背景から義稙は延徳2(1490)年に将軍に就任するも、のちに明応2(1493)年のクーデター「明応の政変」で殺されかけ、脱走する羽目に・・・。その後、再起を図ってあちこちの大名を頼り、流浪することになりました。これが「流れ公方」と呼ばれる所以です。
しかし、永正4(1507)年に細川政元が暗殺され、政元の養子たちによる家督争いが勃発して中央が混乱したのをきっかけに、周防国の大内義興の軍事力を使って入京。まさかの将軍返り咲きを果たしています。
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