1600年、天下分け目の戦・関ケ原の戦いを前に、真田父子の3人(昌幸、信幸、幸村)が敵味方に分かれるのを決断したことは何と呼ばれているでしょうか。
( 正解率は 60 % )正解!
ざんねん…
答えは「犬伏の別れ」
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1600年、徳川家康が上杉征伐に向かっている隙を突き、石田三成が家康打倒の兵を挙げます。そして当初、家康に従って上杉征伐に向かう途上にあった真田親子のもとに、三成挙兵の書状が届きました。
今後、徳川家康と石田三成のどちらに味方するのか、真田親子が密談を交わした地が下野国犬伏(いぬぶし、現在の栃木県佐野市)です。
昌幸は息子たちに家康と敵対することを告げますが、長男の信幸はこれを拒否し、家康に味方することを主張します。信幸が、家康重臣の本多忠勝の娘を正室に迎えていたことが理由と考えられます。
結局、昌幸と幸村は三成方、信幸は家康方につき、親子で敵味方に分かれることになってしまいました。しかし、最終的に勝者側にいた信幸のおかげで、真田家は存続することができたのです。
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