徳川家康が幼少の人質時代、一緒に過ごした祖母の名は?

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10年以上、今川家で人質生活を送った徳川家康。そんな家康の面倒を見ていた祖母は次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 47 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「華陽院(けよういん)」

  回答内訳

423人 が回答済です

華陽院(けよういん)(199回答)
47%
築山殿(つきやまどの)(46回答)
10%
西郷局(さいごうのつぼね)(61回答)
14%
於大の方(おだいのかた)(117回答)
27%

※未回答での閲覧回数は 52回

 解説

華陽院(けよういん)は家康の母方の祖母です。実名は「於富の方」あるいは「於満の方」などといわれています。

彼女は三河国刈谷城城主・水野忠政に嫁ぎ、家康の母・於大の方(おだいのかた)を生んでいます。その後は政略によって岡崎城城主・松平清康と、さらには清康の死後も三河の豪族たちと次々に再婚しますが、いずれも夫に先立たれています。

その後、今川義元のもとに身を寄せ、出家して源応尼(げんおうに)と名乗り、そこで家康(竹千代)が元服するまで養育係として一緒に過ごすことになったのです。

なお、築山殿は家康の最初の正室、西郷局は家康の側室で二代将軍徳川秀忠の母にあたります。


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