天正壬午の乱で真田昌幸がとった行動とは?

天正壬午の乱アイキャッチ

1582年、織田信長の死後まもなく、旧武田領(甲斐、信濃、上野の三国)をめぐり、徳川・北条・上杉らによる争奪戦となった「天正壬午の乱」。なお、当時、信濃小県郡を本拠とする真田一族は織田家の配下にありました。

さて、この乱で当主の真田昌幸がとった行動とは、次のうちどれでしょうか?

( 正解率は 75 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「主君を次々と変え、自分の土地を守ろうとした」

  回答内訳

28人 が回答済です

織田軍として滝川一益とともに最後まで戦った(2回答)
7%
主君を次々と変え、自分の土地を守ろうとした(21回答)
75%
旧武田家臣を味方につけ、武田家の再興をはかった(3回答)
10%
生き残るため、織田領の美濃国まで逃亡した(2回答)
7%

※未回答での閲覧回数は 1回

 解説

「天正壬午の乱」は信長の死後まもなくして勃発した、武田の旧領地である甲斐・信濃・上野の3国の争奪戦です。

この3国の元々は甲斐武田家の領土でしたが、1582年に織田信長が武田家を滅ぼして支配。その際に旧武田家臣であった真田一族も織田家の配下に入ります。

しかし、同年に本能寺の変で信長が横死したことで、織田家が支配したばかりの甲斐・信濃・上野の3国では混乱状態に陥ります。そこで3国に攻め込んで領土拡大を図ったのが、隣国の徳川家康、上杉景勝、北条氏政ら大大名でした。

このとき織田家の家臣だった真田昌幸は、自分の土地と一族の生き残りをかけて、戦況を見極めながら、主君を次々と転じて戦いました。最初は上杉、次に北条、最後に徳川に従属。結果的に思惑どおりに自領を守りぬくのです。

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