1582年、織田信長の死後まもなく、旧武田領(甲斐、信濃、上野の三国)をめぐり、徳川・北条・上杉らによる争奪戦となった「天正壬午の乱」。なお、当時、信濃小県郡を本拠とする真田一族は織田家の配下にありました。
さて、この乱で当主の真田昌幸がとった行動とは、次のうちどれでしょうか?
( 正解率は 81 % )正解!
ざんねん…
答えは「主君を次々と変え、自分の土地を守ろうとした」
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「天正壬午の乱」は信長の死後まもなくして勃発した、武田の旧領地である甲斐・信濃・上野の3国の争奪戦です。
この3国の元々は甲斐武田家の領土でしたが、1582年に織田信長が武田家を滅ぼして支配。その際に旧武田家臣であった真田一族も織田家の配下に入ります。
しかし、同年に本能寺の変で信長が横死したことで、織田家が支配したばかりの甲斐・信濃・上野の3国では混乱状態に陥ります。そこで3国に攻め込んで領土拡大を図ったのが、隣国の徳川家康、上杉景勝、北条氏政ら大大名でした。
このとき織田家の家臣だった真田昌幸は、自分の土地と一族の生き残りをかけて、戦況を見極めながら、主君を次々と転じて戦いました。最初は上杉、次に北条、最後に徳川に従属。結果的に思惑どおりに自領を守りぬくのです。
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