九州の大名が派遣した天正遣欧少年使節。目指したのはどこ?

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戦国時代、イエズス会の企画により、九州の諸大名は天正10(1582)年に4人の少年を長崎から日本国外のある場所に派遣させました(天正遣欧少年使節)。さて、その目的地はどこだったのでしょうか?

( 正解率は 80 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「ローマ」

  回答内訳

169人 が回答済です

ローマ(136回答)
80%
モスクワ(11回答)
6%
マニラ(15回答)
8%
ベルリン(7回答)
4%

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 解説

天正10年(1582年)、キリシタン大名の大友宗麟・有馬晴信・大村純忠らは4人の少年を主体とした使節を長崎から出発させました。選ばれたのは伊東マンシ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアンの4人です。

これはイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが企画したものですが、使節の目的は以下の2つとしています。

  • ローマのキリスト教界の世界を4人の少年たちに見聞・体験させ、日本に帰国後、彼らにその偉大さや華麗さを直接語らせることによって布教に役立てること。
  • ローマ法王をはじめ、王侯貴族に4人の少年たちを紹介することにより、日本での布教事業を理解してもらい、援助を請うこと。

3年後の天正13年(1583年)に目的地のローマに達した使節団は、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見し、ローマ市民権を与えられました。

目的を終えた使節団一行は天正18年(1590年)に帰国しますが、天下人となった秀吉によって既にバテレン追放令が出されていました。また、江戸時代には禁教令も出されるなど、その後の活動は十分ではありませんでした。


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