信長の有力家臣である塙直政(ばん なおまさ)は、大坂本願寺との戦いで討ち死にしてしまいますが、直政の一族はその後どうなったのでしょうか?
( 正解率は 60 % )正解!
ざんねん…
答えは「敗戦の責任を取らされて没落した」
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織田信長の赤母衣衆として抜擢された塙(原田とも)直政は、多くの軍功を挙げて重臣の仲間入りを果たしました。
天正4年(1576年)から大坂本願寺攻めの大将となった直政は、織田に帰服したばかりの三好康長を与力として天王寺砦の戦いに参加します。
ところが本願寺側の猛攻を受けた先鋒の三好隊が崩れ立ち、なおも踏みとどまった直政でしたが、ここで討ち死にを遂げてしまいます。しかし信長は敗戦の責任を直政に押し付け、やがて一族は没落していくのです。
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