羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は備中高松城の水攻めの最中、明智光秀の謀反を知ってわずか10日間で京都まで帰還しました。この常識外れのスピードで京都に帰還したことを何と呼ばれていますか?
( 正解率は 89 % )正解!
ざんねん…
答えは「中国大返し」
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1582年、本能寺の変の勃発時、中国攻めの指揮官だった羽柴秀吉は備中高松城の戦いで毛利方と対峙していました。
秀吉は織田信長が討たれたことを知ると、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、中国路を京に向けて全軍を引き返します。この約10日間にわたる軍勢の大移動が「中国大返し」と呼ばれました。
その後まもなく、山崎の戦いにおいて明智光秀討伐に成功しています。