とある武将の名と共に残された武蔵国の忍城の遺構とは?

豊臣秀吉は水攻めを得意としており、武蔵国の忍城を攻めた時の遺構が現在もなお、武将の名前と共に残っています。さて、その遺構とは一体何でしょうか?

( 正解率は 81 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「石田堤」

  回答内訳

32人が回答済 (※未回答での閲覧回数は 1回

蜂須賀沼 (3回答、9%)
清正池 (2回答、6%)
石田堤 (26回答、81%)
福島田園 (1回答、3%)
 解説

1590年、豊臣秀吉が関東の北条攻めを行なったとき、武蔵国の忍城の攻略を任されたのが石田三成です。

忍城の戦い(おしじょうのたたかい)といわれたこの合戦では、豊臣軍は力攻めを行うも周りは沼や田んぼが多い土地であり、城攻めが一向にに進みませんでした。そこで丸墓山(現在の古墳)に陣を敷き、水攻めをするために堤(石田堤)を築くことになりました。

ちなみに映画、のぼうの城でも取り上げられましたが、忍城は陥落せず、石田堤を今もなお残しており、その歴史を語り継いでいます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

おすすめの記事