豊臣秀吉は水攻めを得意としており、武蔵国の忍城(おしじょう)を攻めた際の遺構が現在もなお、武将の名前と共に残っています。さて、その遺構とは一体何でしょうか?
( 正解率は 81 % )正解!
ざんねん…
答えは「石田堤」
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1590年、豊臣秀吉が関東の北条攻めを行なったとき、武蔵国の忍城の攻略を任されたのが石田三成です。
忍城の戦い(おしじょうのたたかい)といわれたこの合戦では、豊臣軍は力攻めを行うも周りは沼や田んぼが多い土地であり、城攻めが一向にに進みませんでした。そこで丸墓山(現在の古墳)に陣を敷き、水攻めをするために堤(石田堤)を築くことになりました。
ちなみに映画、のぼうの城でも取り上げられましたが、忍城は陥落せず、石田堤を今もなお残しており、その歴史を語り継いでいます。
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