『美濃を制する者は天下を制す』と言わしめ、難攻不落の城と称された美濃国の「稲葉山城」。 その稲葉山城の名を「岐阜城」に改めた武将は次のうち、誰でしょうか。
( 正解率は 86 % )正解!
ざんねん…
答えは「織田信長」
389人 が回答済です
※未回答での閲覧回数は 45回
稲葉山城は、美濃斎藤氏の居城でしたが、織田信長が永禄10年(1567)8月に美濃国を制圧し、名を「岐阜城」に改めて居城としました。命名は、信長と政秀寺の高層・沢彦宗恩(たくげんそうおん)との合作です。
宗恩が中国の故事から「岐山」、「岐陽」、「曲阜」の字を抜粋。信長は「周の文王が、岐山から起こり天下を定める」という「岐山」の「岐」、そして儒教の祖・孔子誕生の地である「曲阜」から「阜」を選びました。
ここから、「岐阜」という名が生まれたのです。
なお、岐山には昔、鳳凰がまいおりたとの説があり、「岐山」、「岐陽」、「曲阜」の3つの地は、中国で縁起のいい地といわれています。この名前には、「太平と学問の地になるように」との、信長の願いが込められているとか。
城攻略後に信長は、小牧山城から岐阜城へ居を移しています。天下統一にかける決意を皆に示すためだったようです。
記事でくわしく知りたい
こんなクイズもあります
キーワードで探す
時代別で探す
テーマ別で探す