明智光秀の生存説。誰になったとされる?

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明智光秀は本能寺の変の後、羽柴秀吉との戦いに敗れ、敗走中に死亡したとするのが通説ですが、俗説に、実は生存していて、後の世で別人として徳川家康のブレーンの1人になった、というものがあります。さて、その人物とは、次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 73 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「南光坊天海」

  回答内訳

473人 が回答済です

金地院崇伝(49回答)
10%
南光坊天海(348回答)
73%
林羅山(36回答)
7%
ウイリアム・アダムス(40回答)
8%

※未回答での閲覧回数は 50回

 解説

南光坊天海は徳川家康の命で日光山(輪王寺)の貫主となり、家康の死後に日光東照宮を造営しています。

日光東照宮の随所に光秀の家紋である桔梗が散りばめられているとか、近くには天海が命名したとされる明智平という地名があるとか、光秀が天海になったとする説では、さまざまな状況証拠が挙げられています。

秀忠・家光の名に、自らの名を1字ずつ残したとも。ただし、この俗説には年齢的に矛盾があり、あくまでもフィクションの域を出ないようです。


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