正解!
ざんねん…
答えは「幕末の著名人を輩出した私塾の指導者」
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吉田松陰は江戸時代後期の武士で、明治維新を成し遂げた長州藩(山口県)の先駆的な思想家として活動するとともに、教育者としても多くの人材を育てた人物です。 松陰は、天保元年(1830)に長州藩士の杉百合之介の次男に生まれました。間もなく、藩の兵学師範を務めた吉田家に養子に入り、幼少の頃から叔父の玉木文之進に厳しく育てられてきました。わずか11歳にして藩主の御前で兵学講義を行い、19歳で藩校の明倫館で教授を務めるなど、秀才として名をとどろかせます。その向学心は藩内だけにとどまらず、江戸への留学、さらに全国遊学の旅にまで出るようになるのです。 安政元年(1854)にペリーの艦船が下田(静岡県)にやって来た際、松陰は弟子と2人で密航を企てます。松陰は「外国を討つべし」という攘夷思想の持ち主である一方、「外国に対抗するには外国で学ぶしかない」とも考えていました。しかし密航は失敗に終わります。幕府に自首をした松陰らは長州に送り返され、野山獄に収監されました。さらに、同行した弟子が獄中死し、松陰は深い悲しみに落ちるのです。 そんな松陰に囚人たちが教えを請うようになり、やがて獄中での講義をするようになります。「在野にこそ人材がいる」と確信した松陰は、幽閉された実家の杉家で私塾を開くことにしました。これが「松下村塾」です。 塾には、近郷近在だけでなく藩内から多くの若者が学びにやって来ました。塾生を身分や階級で区別せず、自由な雰囲気の中でお互いに切磋琢磨し合い、時には松陰を交えて時世を熱く語り合うこともあったといいます。教え子には、幕末の長州藩でリーダーとして活躍した高杉晋作や久坂玄瑞、明治政府の中心的な政治家となった伊藤博文や山県有朋をはじめ、数多くのすぐれた人材を輩出しました。 教育者として名を上げた松陰ですが、思想家としての自分を捨てたわけではありません。大老の井伊直弼を中心とした幕府の政治姿勢に対して激烈な批判を繰り広げ、行動をもって示すために幕府要人の暗殺計画まで企てます。危険人物として藩に捕らえられた松陰の存在は、幕府の知るところとなり、江戸へと護送されます。幕府の取り調べに対しても、松陰は自分の考えを堂々と述べたのですが、重罪と判断した幕府によって安政6年(1859)に処刑されてしまいました。 松陰の生涯はわずか29年で閉じましたが、遺作となった「留魂録」が弟子たちに届けられ、「草莽崛起(そうもうくっき)」や「至誠の精神」といった思想は、倒幕を目指す長州藩の原動力となっていったのです。
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