「剣聖」と呼ばれた上泉信綱が仕えた武将は?

戦国時代は剣豪が数多く輩出された時代ですが、その中でも「剣聖」と呼ばれる上泉信綱(かみいずみのぶつな)公は別格の扱いです。彼の名が世に知れ渡る前に、実はある名将に仕えていました。その武将とはだれでしょうか?

( 正解率は 68 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「長野業正」

  回答内訳

86人 が回答済です

村上義清(9回答)
10%
太田道灌(8回答)
9%
真田幸隆(10回答)
11%
長野業正(59回答)
68%

※未回答での閲覧回数は 8回

 解説

長野業正(ながの なりまさ)は関東管領上杉氏に仕え、居城の箕輪城を中心に武田信玄の侵攻を何度も撃退しています。上泉信綱はその長野業正に仕え、戦で数多くの軍功をあげました。さすがの信玄も長野業正と上泉信綱のコンビには手を焼いたようです

しかし、関東管領上杉氏が事実上滅び、業正も病死すると、長野家は箕輪城を保つことができずに武田氏の軍門に下ります。このとき信綱は信玄から家臣にと誘いを受けますが、断ったとか。

なお、信綱はその後、自身の剣術の流派である「新陰流」を普及させるために諸国流浪の旅にでて、多くの剣豪に出会い、弟子も抱えたようです。ちなみに柳生宗厳(のちの徳川家剣術指南役、柳生宗矩の父)も弟子にあたります。

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