関ヶ原の戦いで、島津義弘の撤退を助けた島津一門の武将は?

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1600年、関ヶ原の戦いにおける西軍の将・島津義弘(しまづ よしひろ)は、その退却時に数々の犠牲者を出しながらも、なんとか撤退に成功しました。犠牲者の中には、自らが囮となって義弘を撤退させた島津一門の武将もいましたが、それは次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 70 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「島津豊久(とよひさ。義弘の甥)」

  回答内訳

413人 が回答済です

島津家久(いえひさ。義弘の弟)(78回答)
18%
島津豊久(とよひさ。義弘の甥)(293回答)
70%
島津忠恒(ただつね。義弘の子)(29回答)
7%
島津久保(ひさやす。義弘の子)(13回答)
3%

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 解説

島津豊久は義弘の甥にあたり、父は島津四兄弟の四男である島津家久です。

天正15(1587)年には、父家久が急死したため、18歳の若さで佐土原城の城主に。その後は文禄・慶長の役で武功を挙げるなどで活躍。そして迎えた慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、島津が属した西軍は敗北となり、撤退を余儀なくされます。

豊久はその撤退戦で、義弘を無事撤退させるために「捨てがまり」の戦法で東軍を食い止めます。義弘を撤退させることに成功したものの、その後の彼の最期には諸説あるようです。討死したという説のほか、石津町にある瑠璃光寺で自害した、との説もあります。


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