1600年、関ヶ原の戦いにおける西軍の将・島津義弘(しまづ よしひろ)は、その退却時に数々の犠牲者を出しながらも、なんとか撤退に成功しました。犠牲者の中には、自らが囮となって義弘を撤退させた島津一門の武将もいましたが、それは次のうち誰でしょうか?
( 正解率は 70 % )正解!
ざんねん…
答えは「島津豊久(とよひさ。義弘の甥)」
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島津豊久は義弘の甥にあたり、父は島津四兄弟の四男である島津家久です。
天正15(1587)年には、父家久が急死したため、18歳の若さで佐土原城の城主に。その後は文禄・慶長の役で武功を挙げるなどで活躍。そして迎えた慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、島津が属した西軍は敗北となり、撤退を余儀なくされます。
豊久はその撤退戦で、義弘を無事撤退させるために「捨てがまり」の戦法で東軍を食い止めます。義弘を撤退させることに成功したものの、その後の彼の最期には諸説あるようです。討死したという説のほか、石津町にある瑠璃光寺で自害した、との説もあります。
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